期待を「蹴り飛ばす」星野源が見たい
星野源との出会いから10年を超えたが、人気も実力も、相変わらず高値安定、長期安定政権である。音楽家だけでなく、俳優としても成功し、今や「国民的存在」といっていい。そのあり方たるや、事務所の先輩の桑田佳祐を想起させる。
こうなってくると、聴き手としても欲張りたくなる。私が思うのは「国民的存在=ナショナル星野源」ではない「個人的存在=パーソナル星野源」の発露である(拙著『桑田佳祐論』にある「ナショナル桑田」「パーソナル桑田」論参照)。
25年のアルバム『Gen』がよかったのは、彼自身が「自分の生き写しみたいなアルバム」というように、「パーソナル星野源」につながる内省性が垣間見えたところだ。同年のベストアルバムだと、各所で話し、書いた。
「ナショナル星野源」もあっていい。でも、アルバム『Gen』や、同年のシングル、その名も『いきどまり』に表れているようなパーソナルな思い・悩み・怒りをもっと聴きたい。
極端にいえば、「国民」の期待を嘲笑い、蹴り飛ばすような「ダークサイド・パーソナル星野源」を。
そんな期待も込めていいだろう。なぜなら、星野源はもはや、ここから語る、残り3人の「ライバル」を引っ張るリーダーなのだから。
米津玄師の強烈な陰鬱性
米津玄師は91年生まれ。星野源のちょうど10歳年下となる。米津玄師といえば、まずは何といっても18年の『Lemon』だろう。初めて聴いたときに驚いたのは、その陰鬱さだ。
《♪夢ならば》――この強烈に陰鬱な歌い出しが、『Lemon』という楽曲、そして米津玄師という音楽家の魅力を象徴している。
《♪夢ならば》=「ドレミドラ」(キーはGm)というメランコリックなメロディ。《♪(夢ならば)どれほどよかったでしょう》という喪失感に溢れた歌詞(祖父の死をモチーフにしたという)。そのメロディと歌詞の世界にぴったり照準を合わせたような、ねっとりと粘着的な声質。
こちらも妙な言い方になるが、「ヒットチャートが陰鬱を奪還した」と思ったのだ。
もちろん、その陰鬱性は、重苦しい時代の空気とベストマッチしていた。翌19年のKing Gnu(キングヌー)『白日』も相まって、マイナーキーの陰鬱ソングが時代の真ん中にせり出してきた。
そして、星野源に加えて、米津玄師によって、から元気・から騒ぎの「平成Jポップ」がいよいよぷっつんと切り離され、いよいよ過去のものになった気がした。
『Flamingo』(18年)、『感電』(20年)、『死神』(21年)、『さよーならまたいつか!』(24年)、そして宇多田ヒカルとのコラボ曲『JANE DOE』(25年)……。注目したいのは、これら米津玄師の代表作品に立ち込めている独創性、というか、何とも「説明の付かない感じ」である。

