※本稿は、左巻健男『サイエンス日本史』(集英社新書)の一部を再編集したものです。
なぜ五重塔は地震で倒れないのか
世界有数の地震国日本で、高い塔が倒壊せずに残ってきたことは驚異的だ。千年以上残り続けてきた理由は、ヒノキや和釘のおかげだけではない。ここでは塔の構造にも注目してみたい(図表1)。
五重塔は、中心に立っているヒノキの柱(心柱)と周囲にある5層の瓦屋根(庇)からできていて、塔の重量はほとんどその庇が担っている。
心柱の周囲は吹き抜けになっていて、階段すらなく、各階の庇とは直接つながっていない。心柱が他の構造と接しているのは屋根の部分だけだ。心柱はただ地面から立っているだけで、庇自体の重量を支えているのは心柱とは別の16本の柱なのだ。しかも、ある階の庇は下の階の庇に間接的に乗っているだけで、構造は階ごとに独立している。
そして、塔の部材を組み立てるやり方は、釘を使わずに柱や梁などの木材に凹凸を加工し、その部分を接ぎあわせる木組み工法だ。木組みは、戦前まで民家に盛んに用いられ、現在も残る町家などで見られる。
各階の庇は上にいくほど、小さく軽くなっているので、大きな地震が来ると、各階の重量が違うためタイミングがずれて揺れることになる。そして、しばしば逆向きに振動し、各階の重心の変化は塔全体としては打ち消しあう。さらに塔が全体として大きく傾かないのは、塔を構成する木がしなったり、接合部分がめり込んだりして、その揺れを吸収しているからだ。
伝統建築が守る日本の城
法隆寺の五重塔に使われた構造は、日本各地にある寺院の塔に使われているが、この構造によってどの塔も火災で焼失することはあっても、地震が原因で倒壊することはほとんどないのである。
戦国時代前半、城は山城が主流だったが、戦国時代後半には土木・建築技術が発達し、徐々に平地に天守のある城(平城)が築かれるようになった。
城の建築物は、敵からの侵攻を阻むための石垣、塀、曲輪、櫓や、土蔵、住居、天守などからなる。高くそびえる天守、石造の城壁と白色の土塀をめぐらせ、敵からの防御だけではなく、城主の権力を誇示する象徴として発展し、豪壮華麗になっていった。このような日本の独特の城づくりの様式は、16世紀中頃に確立した。
兵庫県姫路市本町にある姫路城は、17世紀初頭の日本の城を代表するものだ。この時代の城建築の最盛期の遺産であり、1993(平成5)年、法隆寺とともに日本で初の世界文化遺産となった。姫路城の建造物は、国宝として大小天守4棟と渡櫓4棟、重要文化財として櫓16棟、渡櫓11棟、門15棟、塀32棟がそれぞれ指定を受けていて、群を抜いて多い。


