職人技が光る石垣の崩壊を防ぐ排水の仕組み
城の建築で最も難しいのは石垣技術といわれる。石垣は、高く積みあげたときに内側から圧力が高まると、樽状に膨らみ、ついには崩れてしまう。その崩壊を防ぐための技術が戦国時代を通して急速に進歩していった。
戦国時代前半は、自然石を積んでいくだけの「野面積み」の技術が主流だったが、その技術は見た目以上に優れており、400年を超えた今もなおその石垣が残っている城は多い。やがて技術がさらに進んで、石の接面を平らに加工して積む「打ち込み接ぎ」に移行した。
近世の城の大多数はこれだ。さらに四角く削った石を整然と積んだ「切り込み接ぎ」へと発展した。これは江戸幕府が築いた城に多く見られる(図表2)。
石垣の積み石は、土塁(土で築いた堤防)と合わせて積んでいくが、積み石(築石)と土塁の間(積み石の裏側)は小石の裏込め石(栗石)で固める(図表3)。裏込め石どうしはそれぞれに隙間があるので、雨が降ったときには雨水が裏込め石の隙間を流れていき、石垣の外や下へ排出される。
こうして石垣の内側に流れ込む雨水の排水をスムーズに行うことができる。しかし、裏込め石の構造がしっかりつくられていなければ雨水が中に溜まり、積みあげた石垣を外へと圧迫して崩壊させる危険性があるのだ。
日本建築の頑丈さのヒミツ
また積み石の表面に隙間があると、見栄えが悪いし、敵の侵入の足がかりになってしまう。そこで、野面積みの石垣では積み石と積み石の間に間詰石とよばれる小石を詰める。裏込め石や間詰石には地震の揺れのエネルギーを吸収する働きもある。
高く美しい石垣が現代まで崩れることなく残っているのは、当時の人が行っていたこうした工夫があったからである。
日本三景の1つである宮城県松島の優美な諸島を眼下に望む「国宝瑞巌寺」。戦国大名・伊達政宗の菩提寺である。戦国時代を経て衰退していた寺を伊達政宗が1604(慶長9)年から5年の月日をかけて再建し、瑞巌寺と称した。
2008(平成20)年「平成の大修理」とよばれる解体修理が始まり、2018(平成30)年3月、10年にも及ぶ工事が完了した。このとき判明したことがある。本堂の主要な壁に「筋交い」が入っていたのだ。部材や構造から、これらの筋交いは瑞巌寺の創建時に設置されたものであることがわかった。
筋交いとは、木造建物構造材の1つで、柱と梁で囲まれた四角形の部分に補強材を対角線のように取りつけたものだ(図表4)。
建物に筋交いを入れることで、耐震性が増し、その数が多ければ多いほどさらに丈夫になる。建物は地震があった際、縦揺れ・横揺れによって、柱は横に、梁は上下に揺れるので、家に傾きが生じて倒壊してしまう恐れがある。




