姫路城を火から守る「漆喰技術」

姫路城の歴史は古い。鎌倉時代の終わりとなった1333年の元弘の乱のとき、赤松則村が姫山に陣を構え、南北朝の内乱では、1346年、則村の子貞範が築城し、姫山城とした。山名氏、黒田氏を経て、羽柴秀吉が1580(天正8)年に毛利氏との戦いの拠点として本格的に改修し、三層の天守を築いた。これが現在の姫路城の始めである。

1600(慶長5)年に姫路に入った池田輝政は、姫路城の大改築を行った。1601年に着工し、9年の歳月をかけて完成。周囲は内堀・中堀・外堀の三重の堀で囲まれている。

この輝政の大改築によって、姫路城は今日見るような規模になり、白漆喰で塗り固められた白亜の天守群が、青空に翼を広げたシラサギのように見えることから「白鷺城」と書き、「しらさぎじょう」、あるいは「はくろじょう」ともよばれるようになった。

漆喰とは、昔から日本建築の白壁の材料として使われているが、消石灰(水酸化カルシウム)に糊と繊維を混ぜてつくられたものだ。漆喰の持つ優れた耐火性は、古くから人々に知られていたが、その主な要因は、主原料であるこの消石灰の性質にあった。

壁に塗りつけられた漆喰は、空気中の二酸化炭素を吸収して炭酸カルシウムに変化し、固くなる。これらの要素の働きにより、漆喰の塗られた土壁は火事のときでも簡単には炎を通さないのである。当時、漆喰が多用されるようになったのは、それまで米からつくっていた糊を安い海藻に代えることができるようになったからだ。

姫路城
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昔の人が考えた地震に負けない技術

現在でも江戸時代から天守が残っているのは、姫路城、松本城、彦根城など12城しかない。これら現存天守以外の天守は、主に昭和になって復元、復興されたものだ。

姫路城の天守は、五重6階天守台地下1階(計7階)の大天守と三重の小天守3棟、その各天守の間を櫓で結んだ頑丈な造りになっている。

そのうち大天守は、外観は5階建てに見えるが、内部は地上6階に地下もある。それは、「地階から2階まで」と「3階」「4階」「5階から6階まで」の4つのブロックで構成されている。各ブロックの縦の柱の位置はまちまちで、このままだと横揺れに対する強度が心配になる。

その弱点を補うのが、高さ24.6メートル、根元の直径0.95メートルの東西2本の心柱の存在だ。2本の心柱は地下から6階床まで貫いて、各ブロックが心柱に向かって固く絞り込まれるように組みあげられている。

つまり2本の心柱を全体の芯にしているので、強度が増し、横揺れを防げるようになっている。さらに、横揺れに対する強度を保つために心柱の東西にも梁を通し、各ブロックと心柱との固定化をはかっているのだ。