【連載 私の30代】30代は「正解なき決断」の連続だ。1985年、33歳で宇宙飛行士の選抜試験に合格した向井千秋さんは、初めて宇宙に飛び、名実ともに「アジア人女性初の宇宙飛行士」となるまで9年かかっている。輝かしいキャリアの一方で、自分が選ばなかった人生についてどう受け止めているのか。ライターの宮﨑まきこさんが取材した――。
コロンビア号搭乗時の向井さん(1994年)
画像提供=JAXA/NASA
コロンビア号搭乗時の向井さん(1994年)

チャレンジャー号の墜落と先輩の死

ひとつの事故が、向井千秋の人生を大きく変えた――。

1986年1月28日、スペースシャトル・チャレンジャー号の打ち上げを待つアメリカ合衆国フロリダ州は、異例の寒波に襲われていた。事故が発生したのは、打ち上げから73秒後。空気抵抗が最も大きくなる危険域を通過し、機体が出力を上げた直後だった。地上との最後の通信には、機長の「Uh-oh.(あっ、まずい)」というつぶやきが残されている。

白い煙がうねりながら四方八方へ触手を伸ばし、内側から赤黒い炎が噴き出した。

日本時間29日未明、向井さんはブラウン管テレビに映し出された光景に、震えを隠しきれなかったという。

「膝がガクガクしたのを覚えています。チャレンジャー号にはオニヅカさんが乗っていたので……」

エリソン・ショージ・オニヅカ氏は日系人初の宇宙飛行士だ。かつて宇宙飛行士の最終選抜時にNASAを訪れた際に向井さんを含む7名を励ましてくれた、心強い先輩だった。

それにね、と向井さんは言葉を継いだ。

「スペースシャトルは、アメリカが誇る最先端の科学技術の結晶だった。それが落ちるなんて、当時の私は夢にも思わなかったの。人間は科学技術で環境を、社会をどんどん変えられるって信じていたから……」

宇宙飛行士“以前”向井千秋の30代

「科学技術が豊かな未来を連れてくる」と誰もが信じた1980年代。アメリカではスペースシャトルの初打ち上げに成功、つくば万博ではSFの世界が現実となった。家庭には全自動家電やビデオデッキなどが登場し、「時間」の概念さえ変わっていった時代だ。

世界中が科学の力に熱狂するなか、向井さんは1985年に33歳で宇宙飛行士の選抜試験に合格する。しかし実際にスペースシャトルに搭乗して宇宙に行けたのは1994年、42歳のときだ。

30代は彼女にとって、宇宙へ飛び立つまでの長い助走期間にあたる。「アジア人女性初の宇宙飛行士」という冠を持つ向井さんにも、迷い、悩み、苦しんだ時期はあったのだろうか――。

「とんでもない! 当時は毎日が楽しくて、次の日が待ち遠しかったんです」

身振り手振りを交えながら30代を振り返る向井さんは、現在74歳。東京理科大学の特任副学長を務めながら「月に住むための研究」をしているという。

幼いころから何にでも興味を持つ子どもだった。体力勝負でも男性に引けを取らず、大学時代はスキーの大会で優勝。医師になってからは専門領域として心臓外科を選び、故石原裕次郎氏の担当医になったこともある。

医師というキャリアから宇宙飛行士へと飛躍した女性――。そのバイタリティは、70代になっても衰えていない。本来ならあらゆる意味で「遠い人」であるはずなのに、なぜか距離を感じさせない親しみやすさがあった。

東京理科大学特任副学長 向井千秋氏(2020年頃に撮影)
画像提供=東京理科大学
東京理科大学特任副学長 向井千秋氏(2020年頃に撮影)