「ハローマック」を覚えているだろうか。ピンク色の城のような外観に、ファミコンやプラレール、巨大な滑り台まで並んだ“遊べるおもちゃ屋”だ。1990年代には全国472店舗まで拡大したが、2008年にひっそりと姿を消した。なぜ、子供たちの夢だった玩具店は消えたのか。ライターの佐藤隼秀さんが、当時を知る運営会社・チヨダ幹部に、その変遷を聞いた――。
ハローマック南流山
画像提供=株式会社チヨダ
かつてあったハローマック南流山店

ロードサイドの生みの親

国道17号線沿いを浦和方面に進むと、特徴的な建物が目に入る。ギザギザ状に細工された屋根に、煙突のようにポコっと飛び出た装飾は、殺風景な幹線道路沿いにあって存在感を放っている。

この建物こそ、かつてチヨダが展開していた玩具店「ハローマック」の跡地であり、今は「東京靴流通センター 浦和店」に業態転換された建物だ。

「実は、ロードサイドという言葉は、当社の創業者が作った言葉なんですよ」

そう語るのは、チヨダEC事業部長の冨髙尚登氏だ。いまや飲食店や家電量販店など、様々な業態がしのぎを削るロードサイドだが、その先駆けとして鉱脈を掘り当てていたのがチヨダだという。

遡ること半世紀近く、チヨダは1977年に、埼玉県戸田市の新大宮バイパス沿いに、貸倉庫を利用した靴専門店を開店する。これがチヨダにとっての「ロードサイド1号店」となった。倉庫の持ち主も商売が成立するのか半信半疑だった中、100坪あまりの店内に靴を敷き詰めて開店にこぎ着けると、これが大当たりする。

靴店で得た出店ノウハウ

「1970年代当時、街道沿いにはファミレスや中古車販売店が点在している程度でした。そうした時代に、創業者・舟橋政男名誉会長がアメリカを視察した際、車社会の広がりが著しいことに感銘を受けたそうです。いわゆるモータリゼーション化が進んでおり、日本でも同様の流れが来ると。そうすれば消費者が買い物をする場所も、郊外へと広がっていくと見越して、国道や県道沿いのエリアに目をつけたそうです」(冨髙氏)

自身もハローマック店長だった冨髙氏
撮影=プレジデントオンライン編集部
自身もハローマック店長だった冨髙氏

前述の通り、舟橋名誉会長の読みは当たった。商圏の空白地帯に、100坪規模の大箱を構え、1万点近い商材を並べて顧客を呼び込む。27センチ以上、厚底のシークレットシューズ、雨や雪にも強いワークシューズなど、ジャンルごとにコーナーを設置して、地域に密着した「なんでも揃う靴屋」として近隣住民に重宝された。

それ以降、豊富な品揃えを武器に、チヨダはロードサイドへの一気呵成の出店に乗り出す。

人流や交通量の分析、公共施設との近接性などの条件を鑑みつつ、出店精度を高めていった。店舗が拡大すればするほど、内観やオペレーションの標準化も進み、効率的な運営が磨かれていった。こうして出店のノウハウが整い、チヨダは年間数十店舗単位で、ロードサイドに攻勢をかけた。