やってきた「玩具業界の黒船」
一方で、1990年代後半を機に、ハローマックは翳りを見せる。
大きく潮目が変わったのが、1991年末に日本上陸を果たした「トイザらス」の存在だった。米国発の玩具ブランドが、日本マクドナルド社との合弁で日本法人を立ち上げたことで、上陸当時は「玩具業界の黒船」とも呼称された。
トイザらスの特徴といえば、その圧倒的なスケールだろう。複数フロアに跨る延べ1000坪規模に及ぶ店内に、玩具からベビー用品、プレイエリアなどを設け、子供から大人まで楽しめるレイアウトが目を惹く。
いわばハローマックが100坪単位で実践していた「体験型店舗」を、その10倍近いスケールで上塗りしたわけだ。同店舗にベビー服や離乳食などを派生した商材を揃えるのも、チヨダのコングロマリット構想に近しい戦略を感じる。
また同時期には、郊外にショッピングモールが林立し始めたのも逆風となった。1991年に大店法※の改正が始まり、大型モールの出店に対する規制が緩和され始めたのだ。
※編集部註
大規模小売店舗における小売業の事業活動の調整に関する法律の略。同法は1974年に施行され中小小売店を保護するため大型店の出店を規制していた。2000年に「大規模小売店舗立地法」に置き換えられ役目を終えた。
モール内のフロアマップを思い浮かべれば、同じフロアに玩具店やゲームセンター、子供服や靴などのテナントが同居する。チヨダがいくら商業集積地の構築を進めていても、1店舗であらゆるニーズを満たす利便性には敵わなかったはずだ。
大型店として幅広い商材を武器に、客層を取り込んでいったハローマックだが、こうした強みを上回る形で競合に台頭されては分が悪くなるのは自明のことだ。
川上型産業の難しさ
「玩具業界は“川上型産業”と言われています。大手メーカーも、製造できる量はある程度限られているため、あらかじめ小売店に初期ロットを擦り合わせた上で製造にとりかかる。いわばメーカーの生産体制が前提にあり、仕入れの量も決まってくるわけです。そうした産業構造だと、ある程度収益を見込みやすい企業など、スケールの大きい大型店が優先されやすくなっていきました」
そう語るのは、チヨダ上席執行役員マーケティング統括本部長の安立邦広氏だ。
加えて、当時のチヨダにはハローマックのマスコットであるマックライオン以外にこれといった自社IPもなく、大半の商材を仕入れて展開していたため、粗利が低いことも衰退につながった。とりわけ目玉商品であったものの営業利益率が靴の半分近くと、収益を圧迫する商材であることも首を絞めた。
薄利多売のビジネスモデルであったがゆえに、ハローマックは不採算店舗が目立つようになり、チヨダは戦略的撤退を進める。1990年代後半から、契約終了による撤退や、他ブランドへの業態転換も進み、店舗数は減少していく。ハローマックの最後の店舗が閉店したのは、図らずもリーマンショックが訪れた2008年だった。

