「遊べるおもちゃ屋」の誕生

成長局面に入った時期に、チヨダが次に考えたのが「業態の多角化」だ。靴事業で培った「ロードサイド型のフォーマット」を流用し、他の商材でチェーン展開すれば、さらに収益は積み上がる。「コングロマリット構想」としてアパレル、玩具、アウトドア、ベビー用品、バッグなど、マルチなプロダクトの多店舗化を進めた。

ハローマック店内の様子、2007年6月頃。
画像提供=株式会社チヨダ
ハローマック店内の様子、2007年6月頃。

お気づきの通り、ハローマックが誕生したのも、その一環だった。ファミコンブームが訪れていた1985年当時、埼玉県春日部市に1号店をオープン。玩具には知見がなかった中、鳴り物入りでの参入となった。

冒頭で記した特徴的な外観は、異業種からの参入であったことや当時ロードサイドに玩具店がなかったという背景がある。城壁のような屋根に、白とピンクを基調にしたファンシーなデザイン、大々的に描かれた可愛らしいライオン。建築費をかけてまでファサードを派手にしたのは、視認性やキャッチーさを高める意図があった。

「おもちゃの国のような、西洋のお城をイメージして、ワクワクするイメージを体現した」

冨髙氏がそう語るように、ハローマックは“遊べるおもちゃ屋”として認知されていった。10~30坪の町場の玩具店が主流だった時代に、ハローマックは100坪規模のスケールをフル活用し、店内のレイアウトにもこだわりを見せた。

最盛期は472店舗、店舗あたりの年商は約1億円

流行りのゲームのデモプレイはもちろん、壁面いっぱいにジグソーパズルやプラモデルを陳列し、特設コーナーではプラレールを走らせる。さらに三輪車やトランポリン、滑り台など、一般的な箱では捌けない大型遊具を仕入れ、行って楽しい体験を生み出した。

かつてハローマックで店長を経験してきた冨髙氏いわく、ハローマックの売場作りは「店長による裁量権」が大きかったという。近隣の小学校で人気のおもちゃをテーマにしたイベントを開催したり、当時人気のミニカーの売場を作ったり、クリスマスなどの催事では光るジグソーパズルを設置したりして特別感を演出するなど、豊富な品揃えを維持しつつも、見て、触って、遊べるおもちゃ屋を目指し、ニーズを掘り起こしてきた。地域に根差した売場作りも、訪れては楽しい遊び場として客を呼び込んだ。

「最盛期は1990年代頃です。当時は週に2店舗ほどを開店しており、それこそ『道路が延伸したら出店を決めるほど』豪快な時代だった。

1990年代前半だけで、ハローマックは472店舗まで広がりました。各店舗の年商は約1億円あったと記憶しています。チヨダグループ全体の年商も2000億円を超える好調な業績の中、そのうち20%以上はハローマックでまかない、社の第二の柱としてのポジションを築いていました」

チヨダグループ全体としても、前述した「コングロマリット構想」は、現実味を帯びつつあった。

アパレル事業の「マックハウス」、ベビー用品を揃える「ベビーマム」、スポーツスニーカーやウエアを中心とした「フットアップ」などを立ち上げる。これら複数のブランドを一拠点に密集させることで、立ち寄った顧客がいくつもの店舗を回遊して、“チヨダ・ビレッジ”ともいえる商業集積地を構築する青写真を描いていた……しかし転機が訪れた。