本書は題名の通り、中国トイレの「発展」過程を文化人類学的に描く。といってもすごく変わった話ではない。ただ単純な話に、実に多方面の取り組みが必要だったのだ。
排泄物は農村で肥料利用が普及し、それを集めるためにトイレ整備が進んだが、当初は汚いものという認識も薄かった。しかし1970年代頃から、都市化による衛生面のニーズに加え、観光振興に伴う対外的な面子、意識の高い知識人の文化的な要請が合わさり、特に開放政策以降は国としてトイレの整備改革が大きな課題となる。そして日本発のウォシュレット普及で、トイレ自体の規範も変わり、それに応じたさらなるトイレ改革が進もうとしている……。
トイレとなると、衛生的な観点からだけ考えてしまいたくなる。日本では70年代でも、「有機」栽培は生下水利用(※)で、寄生虫蔓延の大きな要因にもなっていた。下水道整備と無機の化学肥料こそが衛生的な食生活で急務だった(だから最近の軽薄な有機栽培ブームには顔をしかめてしまう。が、閑話休題)。中国も純粋衛生面の配慮ですべてが進んだように思ってしまう。だが中国のトイレ整備は決してそう単純ではなかった。
中国のトイレでは「ニーハオトイレ」という仕切りのない公衆便所が有名だ。ぼくも実物を見てのけぞったし、一般に中国の後進性のネタにされる。だが本書を読むと、あれも中国トイレ整備運動の重要な成果だった。それまでの垂れ流しが、曲がりなりにも一カ所にまとめられ、衛生状態が大きく改善した。様々な段階における各種の思惑の絡み合いでトイレ「革命」は進んできたのだ。
ただ評者は都市計画畑の出身なので、本書のトイレだけへの注目は残念。水洗トイレ整備は、下水道整備と切り離せない。それは都市整備と不可分だ。そしてそれは、野ぐそ→くみ取り→水洗→ウォシュレットという、単純な進歩史観ではない。いまや人口減に伴う管路維持の困難から、浄化槽の復活が真剣に論じられている。あるいはシンガポールのように徹底した水循環の中でのトイレ/下水処理の位置づけも必要かもしれない。本書の問題意識はもう少し広げられるのではないか。
とはいえそれはないものねだり。実は評者の本業である開発援助で、インドがまさにトイレ「革命」の発端にある。野ぐそはやめよう、屋内トイレ整備を進めようという動きだ。野ぐそに出たところを女性が強姦される例も多く、同国ではトイレ整備は女性保護の面でも重要だ。中国の経験は、こうした他国の今後の取り組みにも示唆をもつ。
同時に日本も、これはいつか来た道。かつては普通だった便所での読書の習慣を維持されているあなた、本書を読んでいま自分のいる場所に思いを馳せるのも一興ですぞ。
※編集部注:生下水=下水処理場に流入してくる未処理の下水のこと。
※本稿は、雑誌『プレジデント』(2025年8月29日号)の一部を再編集したものです。
●1964年、東京都生まれ。東京大学大学院工学系研究科都市工学科修士課程およびマサチューセッツ工科大学(MIT)大学院修士課程修了。著書に『翻訳者の全技術』(星海社新書)、訳書にピケティ『21世紀の資本』(みすず書房)、オーウェル『一九八四』(講談社)など多数。
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