1985年、世界の見え方をすべて変えてしまう2冊の本に出会った。リチャード・ドーキンスの『生物=生存機械論』とエドワード・O・ウィルソンの『人間の本性について』。どちらも訳者は岸由二(前書は共訳)。当時慶應義塾大学助教授だった彼の授業を受け、借りたのである。

ドーキンスによれば、生き物は遺伝子の乗り物。生き物の利他的な行動は、遺伝子が生き残る確率が上がる、つまり遺伝子の利己性によって実現する。本書は後に『利己的な遺伝子』とタイトルを変え、大ベストセラーとなる。

『遺伝子は不滅である』『生物学を進化させた男 エドワード・O・ウィルソン』
『遺伝子は不滅である』●リチャード・ドーキンス 著 大田直子 訳●早川書房●本体価格4,500円+税
『生物学を進化させた男 エドワード・O・ウィルソン』●リチャード・ローズ 著 的場知之 訳●草思社●本体価格3,000円+税

アリの生態学者だったウィルソンは70年代半ば、大著『社会生物学』を発表する。人間の社会行動や道徳や文化には、進化によって定着した遺伝的な傾向がある。この主張は学界を飛び越え、社会的議論を巻き起こした。『人間の本性について』は社会生物学の内容をコンパクトにまとめ、社会も攻撃性も利他性も性も宗教も生物学的な進化の枠組みで説明できるとした。

目から鱗が落ちた。人間の攻撃性はもちろん思いやりや犠牲的な精神も、卵を産まぬ働きバチが献身的に集団に奉仕するのと同様、遺伝子レベルの進化によるものだ、と。

70年代に物議を醸した彼らの主張は「定説」となった。生物学をはるかに超え、経済学、心理学などあらゆる分野に利己的な遺伝子と社会生物学の概念は組み込まれた。

そんな2人にまつわる新刊が出た。『遺伝子は不滅である』は、豊富なカラーイラストで生物の進化を解説する、ビジュアル版ドーキンス生物学の入門書だ。本書でぜひ味わっていただきたいのが「利己的な遺伝子」や「ミーム」といったパワーワードを生んだドーキンスの比喩の力だ。何より原題が素晴らしい比喩だ。「遺伝子版死者の書」。生き物の身体も生態もすべて、目の前の生き物を書籍とみなすと、そこには死者=遠い過去の祖先の生き物たちが生きてきた環境や生態が遺伝子によって記されている。ドーキンスは書名にそんなメッセージを込めている。

『生物学を進化させた男』は2021年に亡くなったウィルソンの初の評伝だ。米国南部のアラバマ州で生まれ育ち、事故で片目の視力を失うものの昆虫の観察に没頭し、アリの生態の解明から、生態学に進化論の視座を導入。進化生物学の土台をつくり、ハーバード大学で職を得、人間の本能としての「生まれながらの生き物への愛=バイオフィリア」と現代の環境問題の最重要概念である「生物多様性」を定義した。ウィルソンの人生は、新しい科学と哲学がゼロから生まれ、世界に広がるプロセスそのものである。

人間を生き物の一種と見直そう。そのうえで、地球と人類の未来を見直そう。そのための必須アイテムにこの2冊はなるはずだ。

柳瀬博一(やなせ・ひろいち)東京科学大学リベラルアーツ研究教育院教授
1964年、静岡県生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業後、日経マグロウヒル社(現・日経BP)に入社。「日経ビジネス」記者、単行本の編集などを経て、2018年より現職。著書に『国道16号線「日本」を創った道』『カワセミ都市トーキョー』、近著に『アンパンマンと日本人』(新潮新書)がある。

※本稿は、雑誌『プレジデント』(2025年9月12日号)の一部を再編集したものです。

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