中国による統制が強化された香港は、現在どうなっているのか。前駐中国日本国特命全権大使の垂秀夫さんは「中国から流れ込んだ大量の移民と、元々住んでいた香港人との対立が社会問題化している」という。『中国共産党が語れない日中近現代史』(新潮新書)より、笹川平和財団常務理事の兼原信克さんとの対談を紹介する――。(第3回/全3回)
香港のビクトリアハーバーの空中写真
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香港は本当に民主化したと言えるのか

【垂】台湾問題の「先例」として、香港の民主化もよく取り上げられましたね。一般的には「習近平政権が香港の民主化を弾圧した」と語られますが、実際にはもう少し丁寧に観察する必要があると思います。

香港の最大の問題は本当に「民主化」だったのでしょうか。私は少し違う見方をしています。イギリス植民地時代に民主化は存在していませんでした。そもそも植民地に民主主義が根付くことはなく、単に「ご主人様」がロンドンから北京へと代わっただけ、とも言えるでしょう。

1984年の中英共同声明で香港返還が決まり、1997年に「一国二制度」の下で香港は中国に返還されます。この合意以降、多くの香港人が将来を不安視して海外に移住しました。特に1987年頃から年間5〜6万人規模でカナダやオーストラリアなどへ移民しましたが、返還直前には戻り始めました。香港の金融や不動産市場の活況が背景にあり、海外で市民権を得た人々も香港に戻ってきたわけです。

香港返還後もしばらくは繁栄が続き、中国側も比較的巧みに一国二制度を運営していたのです。人民解放軍は駐留していたものの、表に出ないように配慮がなされ、香港の独自制度や税制が尊重されました。こうした観点から見ると、当時の中国は少なくとも返還初期には香港の自治を一定程度うまく扱っていたと評価できるでしょう。

社会問題化した「中国移民」

【垂】大半の香港人は返還前後から、マンダリン(中国語の標準語)の学習を始めました。香港は広東語が主流ですが、公務員やビジネス関係者を中心に、労働者層にも広がり、多くの人が一生懸命マンダリンを覚えようとしました。

香港大学は長年にわたり、住民に「自分は香港人か、中国人か、あるいはその両方か」と問うアンケート調査を行なっています。いわゆる香港人のアイデンティティ調査ですね。その結果を見ると、2008年の北京オリンピック前後に「自分は中国人」と答える割合が増加しています。つまり、その時期まで問題を抱えつつも、一国二制度はある程度機能していたといえるでしょう。

一方で、返還前後から大きな社会問題になっていたのが、中国本土からの移民でした。「家族再統合」の人道的名目で、中国公安部が「単程証」(OWP)によって香港への合法移民を認めており、その枠はかつて1日75人でしたが、返還前の1993年以降は150人に拡大されました。

年間では約5万人規模で「新香港人」と呼ばれる大陸移民が流入しましたが、彼らは多くの場合、香港人に比べて貧しく教育水準が低かったため、学校や社会でいじめや摩擦が発生しました。住宅、医療、教育などの分野で政府支出も増加し、香港人と新香港人の対立は深刻化しました。

台湾社会に例えれば、もともとの香港人が台湾の「本省人」で、新香港人が「外省人」に該当する構図ともいえます。