歴史的に台湾は誰のものでもなかった
【兼原】尖閣問題は台湾問題とも連動しています。中国は、尖閣は台湾の一部という立場ですから。歴史家に聞くと、台湾は「はじめは歴史的には誰のものでもなかった」と言いますよね。
実際、与那国島以南の台湾、ルソン、ミンダナオ、カリマンタン(ボルネオ)、スラウェシ(セレベス)、ジャワ、バリ、スマトラと続く一連の島々は、貿易中継地があるだけで人口も希薄であり、海洋民族のマレー人がパラパラと住んでいただけ。
バスコ・ダ・ガマやマゼランといった欧州人が帆船でアジアに来て、これらの島々を征服するのは15世紀の末からです。日本の戦国時代末期ですね。
【垂】もともと台湾には先住民がいました。16世紀にポルトガル人が来航し、台湾島を見て「フォルモサ(美しい島)」と呼びました。その後、17世紀前半にオランダ人が台南付近に上陸し、ゼーランディア城を築いて拠点としました。
ただし、オランダの支配が台湾全土に及んでいたわけではなく、主に南西部の沿岸地域に限定されていました。そのオランダ勢力を、「反清復明」を掲げていた鄭成功が駆逐し(1662年)、鄭氏政権が約20年間続きましたが、その支配の中心も台南周辺に限られていました。
見向きもされなかった「マラリアの地」
【垂】鄭成功の父・鄭芝龍の時代は倭寇の後期にあたり、東アジアの沿海地域では、交易・密貿易と海賊行為を兼ね、時に軍人として活躍するような人々がいました。倭寇といっても、当初は日本人が中心でしたが、後期にはむしろ中国人が主体となっていました。
台湾の台南、大陸では福建省、広東省、琉球、長崎といった地域の間を行き来して活動していたため、当時は今日のような国境意識はほとんど存在しなかったといえますね。
現代的な整理で言えば、オランダが台湾を植民地化し、それを「明の遺臣」として清と対抗していた鄭成功が奪取したという構図です。これは、のちに蒋介石が大陸から台湾に退いたケースの前例のようにも見えます。
ただし、鄭成功はまもなく死去し、その子・鄭経が鄭氏政権を継承しましたが、これも20年ほどで1683年に清によって滅ぼされました。結局、台湾は清の支配下におかれましたが、当時は「瘴癘の地」と見なされ、実際にはほとんど放置された状態が続いたのです。

