記者生活で忘れていた「本の喜び」を思い出した
まさか58歳で早期退職し、小さな書店を開く人生になるとは、想像もしていませんでした。
元共同通信記者。富山支局、福岡支社、広島支局を経て、東京経済部で大蔵省、総務省、IT業界などを担当。58歳で早期退職し、2024年「一乗寺BOOK APARTMENT」を開業。シェア型書店と新刊書店を組み合わせ、本を介した交流が生まれる場として注目を集めている。
もともとは、「社会を良くする記事を書きたい!」という思いを持ち、共同通信に入社したのが1990年のことです。当時はバブル経済の真っ只中で、マスコミ各社も多くの人を採用していた時期でした。そんな時代の幸運に助けられ、記者としての一歩を踏み出しましたが、決して順調な滑り出しではありませんでした(笑)。
最初に赴任した富山支局では主に事件取材を担当しましたが、警察回りが苦手でした。刑事の方々と関係を築き、少しずつ情報を引き出すため、野球の話を入り口にしようにも、私自身が詳しくないので、どうも上手くいかない。
その苦手意識を抱えたまま赴任した次の福岡支社でも警察を担当しました。富山とは比べものにならないほど事件が多く、警察官との付き合いも一気に濃くなりました。さらに、全国で報道される凶悪事件ともなれば、ヘリコプターが飛び交い、週刊誌やワイドショーの記者も集まってくる。
他社の記者には負けたくないという思いもあり、先輩たちと寝る間も惜しんで細かな情報を追いかけるような毎日でした。苦しい時間のほうが多かったのですが、記者の基礎を体で覚えた時期だったように思います。
そういう記者生活を送りながら、この仕事の意義や面白さを実感できたのは、次の広島支局時代です。1年を通じて戦争や原爆に関する報道が続く都市であり、私が赴任した95年は、戦後50年という大きな節目の年でもありました。その時代に広島で記者をしている以上、被爆者の方々の声や、平和をめぐる動きをできるだけ広く届けたいという思いがありました。8月6日の広島「原爆の日」には、早朝から平和記念式典を取材し、すぐ隣にあるオフィスに戻って原稿を書く。
ヒロシマの声を全国に届けることで、戦争や平和について考えるきっかけをつくれるのなら、この報道には大きな意味がある。そう思えたことで、「記者になってよかった」と強く感じることができました。
その後、東京の経済部に移り、大蔵省(現財務省)や総務省、IT業界などを担当しました。とりわけ印象に残っているのは、インターネット企業の成長です。ひとつの企業の動きが、世の中の仕組みそのものを変えていく。そんな時代の変化に、記者として立ち会うスリリングさがありました。
なかでも、ライブドアによるフジテレビ買収騒動は象徴的でした。連日のようにライブドア本社があった六本木ヒルズに張り付き、堀江貴文氏や関係者の動きを追いました。各社が細かな情報をめぐって「抜いた、抜かれた」を繰り返し、早朝から深夜まで走り続ける日々でした。面白いというより必死でしたが、いま振り返れば、社会の大きなうねりの中心に立ち会っていたのだと思います。
こうして回想すると、記者としては幸運な道を歩んでこられたという実感があります。ただ、年次を重ね、デスクや部長、編集委員という立場になっていくと、管理職的な仕事も増えていきます。本音を言えば、その仕事に面白さよりも負担を感じるようになり、気持ちが重たくなっていたのが実際のところです。「このままこの仕事を続けることがいいことなのか」と考える日も少なくありませんでした。
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