自分を消耗する日々に37歳で幕を下ろした

高校を卒業するまで、埼玉県杉戸町で生まれ育ちました。大学から東京に出て、卒業後に中国へ留学。帰国してからは、広告代理店系の会社をいくつか転々とし、最後は六本木にある独立系のアートオフィスのような会社で働いていました。外から見れば、華やかな仕事だったと思います。

矢口真紀(50) Maki Yaguchi
矢口真紀(50) Maki Yaguchi
暮らしのしごとプロデューサー。東京を捨てて埼玉県杉戸町にUターン後、月3万円から小商いを創る「3ビズ」を主宰。11年で512名・全国25地域へと広がる。町の駐輪場を改修した「100人商店街」に100人の小商いが集う。合言葉は「1人のカリスマより、100人のロールモデル」。

30代の半ばを過ぎたころ、3億円規模の大きな仕事を任されました。がむしゃらに取り組んで成功させ、ある程度の評価も得たけれど、それが終わって、ふと考え込んでしまったんです。

広告やイベントの仕事は、言ってしまえば消費を煽る仕事です。大きなお金を動かし、人の欲望を刺激する。でも、その先で喜んでいる人の顔が、私には見えなかったんです。違和感は突然生まれたわけではなく、1〜2年くらい前から、「この仕事には何の意味があるんだろう」と考えるようになっていました。都内に借りていた小さな部屋に帰って膝を抱え、自分は何のために生きているんだろうって考えたりして(苦笑)。

それまでは忙しく働き、結婚もできなかった。だから、子どものため、家族のためというモチベーションもありません。そんな人生だからこそ、仕事だけが自分の生きる理由だったんです。その仕事に違和感を覚えてしまったとき、自分の人生そのものが揺らいでしまいました。

37歳の誕生日に、「矢口祭り」という、自分の披露宴のようなイベントを開きました。表参道のバーを貸し切って、友人や元同僚、家族など50人ぐらいに来てもらい、「私を祝ってください」という、かなりめちゃくちゃなお祭りでした。

親にも参加してもらいました。ずっと「結婚しないと独りになってしまう」って心配していた父が、酔っ払って「真紀のことをよろしくお願いします」なんて頭を下げてくれたりした。バカ騒ぎだったけど、涙が出てきてしまった。そのとき、自分を消耗する生き方を、もうやめよう。自分自身を生きられないような場所にこれ以上しがみつくのはやめよう。そう思えたんです。私にとって、東京はまさにそういう場所になっていたんですね。

矢口祭りから3カ月後に退職し、38歳になると同時に、杉戸町へUターンしました。自分の中では「東京をやめた」「東京を捨てた」という感覚が一番近いんでしょうね。でも、杉戸町で何をやるか、はっきり決まっていたわけではありません。たぶん、まだ頑張れる「理由」や「脈絡」を探していたのだと思います。

東京では、何のために頑張っているのかが見えなくなっていました。でも地元には、自分の過去があり、土地の記憶があり、知っている人の顔がありました。ここなら人生と仕事がつながる気がしました。

【図表】人生の転機 私が東京を捨てるまで

シャッター街に灯す 「創造」の小さな火

戻ってきた頃の杉戸町は、かつての商店街の面影を残しながらも、活気がかなり失われていました。中学や高校の頃には、本屋や文具店など、いろいろな店がありました。でも、すっかりシャッター街になっていた。東京から1時間半ぐらいの場所が、こんなに寂れてしまったのかと驚きました。ところが同時に、このエネルギーのなくなった街に、もう一度エネルギーを吹き込む。それなら、自分がここに戻ってくる意味になる。そう思えたのです。

SNSなどで「何とかしたい」と発信していたら、中学の同級生たちが「私たちもそう思っていた」と集まってきてくれました。そこから、まずは土地のものや、自分でつくったものを持ち寄って、マルシェのようなものを始めることにしました。

杉戸町はベッドタウンです。多くの人は東京や大宮へ働きに行き、地元にはただ寝に帰るだけ。買い物は越谷などのショッピングモールへ行ってしまう。かつては地元で商いをする人がたくさんいたのに、それが激減していました。なんでもいいから、もう一度「商い」を増やせば、まずはそれがエネルギーになるのでは、と考えました。

そこで、「あなたができることで、出店してみませんか」という思いで、マルシェを始めてみたのですが、最初はなかなか難しかった。出てきてほしい人たちが、表に出てこない。地域にいる子育て中の女性も、お客さんとしては来てくれるんですが、出店するとなると尻込みする。とっても器用で、素敵なクラフトグッズなんかをつくれる人でも、誘うと「売り物にするのなんかムリムリ」と言って、一歩下がってしまう。

そこで、全員が一斉に飛び出す仕組みをつくればいいのではないかと思うようになりました。日本人って真面目だから、学校のような形をつくって、最後は卒業制作のように出店する。みんなが挑戦して当たり前という空気をつくるわけです。それが今も続く、「月3万円ビジネス」のプログラムにつながっていきました。月額3万円くらいの売り上げを目指して、自分がやってみたいことを、小さな商いに変えていくプログラムです。主な対象は、地域に暮らす30〜50代の女性たちです。

私にとって、街をよくするとは、単に賑わいを取り戻すことではありません。人の潜在的なエネルギーに火をつけることだと思っています。東京で私が取り組んでいたのは、消費を煽る仕事でした。今、自分が煽っているものは、「創造」です。あなたも創れる。あなたの創ったものが、誰かを喜ばせる。その循環を創っていきたいと思っています。

東武動物公園駅から徒歩4分の場所にある「100人商店街」
東武動物公園駅から徒歩4分の場所にある「100人商店街」。平日にもかかわらず、日中から地元の子連れママたちを中心に賑わっていた。中の棚に100個のスペースがあり、そのひとつひとつが個人の店になっている。

たとえば、おせんべい屋さんを始めた女性がいます。彼女はもともと保育士でした。自分の街に昔あった「横川焼き」というおせんべいを復活させたいと考えていました。でも、それまで一度もおせんべいを焼いたことがありません。

そこで、試行錯誤の過程そのものを発信することにしました。おせんべいを焼いてみたけど、途中で割れる、膨らまない。そういう失敗も全部発信しました。そうすることで、だんだんと応援してくれる人の輪が広がって、今では地域の人気商品です。現在は、おせんべいの材料である米づくりにも関わり始めています。

私自身の収入は、東京時代の半分以下になっていますが、今のほうが幸せです。街を歩くと、「矢口さん」と声をかけてくれる人がたくさんいる。これは、お金とは違う資本なんですよね。

東京で私は、自分をすり減らしていました。杉戸町に戻ってようやく、自分の人生を取り戻した気がしています。

※本稿は、雑誌『プレジデント』(2026年6月12日号)の一部を再編集したものです。

(構成=末並俊司 撮影=藤中一平)