才能のなさを呑んで埋め負のスパイラルに陥る
小ぶりのガラスコップに日本酒をなみなみと注ぎ、細く切り分けたたくあんをかじってから、表面張力でコップのフチにふんわりと盛り上がった酒を、まずはズッと啜るように、口中に含みます。かじったたくあんと、少量の酒が舌の上で溶け合って、その香りが鼻腔を抜けます。2口目からは、グイと呑む。酒が細く筋となって、喉の奥に流れ落ちていき、胃の腑がカッと熱くなる。4口ほどでコップは空になります。余計な肴は必要ありません。しょっぱい何かと酒があればそれでいい。そういう呑み方はひとをダメにします。私はどこまでも、ダメな酒呑みでした。
ノンフィクション作家。『マイホーム山谷』で第28回小学館ノンフィクション大賞を受賞。大学卒業後、放送作家として活動。その後ライターに転身し、介護・福祉・高齢者問題を中心に取材・執筆を続ける。最近は街歩き取材にも力を入れ始めている。
大学を出てからずっと、フリーランスで生きてきました。キャリアの始まりは、テレビ業界です。20代の後半から、放送作家のような仕事をしていました。その頃に結婚もした。30歳になった頃に息子が生まれました。大学時代に始まった飲酒グセは、その後も続きました。
当時はまだテレビが元気で、局員の財布で呑む機会も多かった。打ち合わせの後に呑み、収録の後に呑み、たいした理由もないのにまた呑む。いつの間にか酒が手放せなくなっていました。
フリーランスは昼間から呑めます。シラフで自宅を出て、局の近くのコンビニでウイスキーの水割り缶を2本ほど、会計後すぐに呑み干す。250ミリリットルと量は少ないけれど、度数は高めだから、ガツンときます。まだストロング系の缶酎ハイはなかった。もしあったらハマっていたでしょう。
家でも相変わらず呑んでいました。一升瓶の減り方が早すぎて、妻に嫌味を言われるので、ごまかすために、減った分だけ水を注いで、かさ増しをしたこともある。いい酒は水に似る、というけれど、薄めた酒を「これぞいい酒」なんてうそぶいていました。
そんな人間だから、仕事に対する姿勢もいい加減です。そもそもテレビの仕事は、私には向いていなかった。どんなVTRをつくれば伝わるのか、どんなナレーションを付ければ盛り上がるのか、よくわからないままやっていました。ディレクターやプロデューサーに叱責されることも度々でした。その憂さを晴らすためにまた呑んだ。
やがて、酒を呑んで記憶をなくすことが増え始めました。どこをどう歩いたのか覚えていないけど、目が覚めると自宅の布団にくるまっている。そんなことが何度もありました。
たまの休みに幼い息子を連れて散歩に出かけます。近所の図書館に連れて行って、絵本を選んでやり、息子がそれに集中し始めた頃を見計らって、こっそり抜け出してコンビニに駆け込み、一合サイズのパック酒を呑んだ。急いで図書館に戻り、息子を膝に抱く。後ろめたさを感じるべきなのですが、呑んでいるから平気です。「なんか臭くない?」と息子に目の奥を覗き込まれたこともありました。それでも、私は、酒をやめなかった。
思い返してみると、酒をやめられなかったのは、テレビの仕事に対する才能のなさが原因かもしれません。同じ時期に業界入りした仲間たちに置いていかれ、後輩たちにもどんどん追い抜かれていった。悔しいけれど、どうにもならない。仕事は減り、酒量が増えた。負のスパイラルというやつです。月の振込額が7万円だったこともありました。私は自分の才能に見切りをつけて、職を変えることにしました。
以前から書くことは好きだったので、その方面で何かできることはないか。ツテをたどって、職探しをしました。数カ月後、運よく当時人気だったフリーペーパーのライターとして、仕事をさせてもらえることになった。30代の半ばでした。しばらくは、テレビと雑誌の二足のわらじを履いていました。
ここから先は有料会員限定です。
登録すると今すぐ全文と関連記事が読めます。
- 広告最小化で快適な閲覧
- 雑誌『プレジデント』が最新号から読み放題
- ビジネスに役立つ学びの動画が見放題
- 会員限定オンラインイベント


