昭和天皇とはどんな人物だったのか。朝日新聞の北野隆一記者は「独白録を読むと、曖昧な事を嫌う性格だったことがわかる。それゆえ、昭和天皇が好ましく思っていなかった政治家がいた」という――。(第1回)

※本稿は、北野隆一『側近が見た昭和天皇』(幻冬舎新書)の一部を再編集したものです。

海軍大元帥正装姿の昭和天皇(1928年)
海軍大元帥正装姿の昭和天皇(1928年)(写真=PD-Japan-oldphoto/Wikimedia Commons

侍従長の日記にみる戦前期の昭和天皇の実像

侍従長となった百武三郎の日記に戻る。

百武は海軍時代から日記をつけていたとみられるが、このうち東京大学には侍従長に就任する1936(昭和11)年以降のものが寄託され、閲覧可能となっている。以下、日記の記述をもとに昭和戦前期の昭和天皇や宮中の動きをたどる。

日記によると百武は、36年12月4日には戦後に首相となる吉田茂駐英大使からの情報を天皇に伝えた。「英皇帝[エドワード八世]はシンプソン夫人との結婚に固執せらるため、内閣と正面衝突し一般憂色[憂えている様子が]あり」と。4日の「昭和天皇実録」には以下のように書かれている。

侍従長百武三郎に対し、新聞報道されている英国皇帝エドワード八世に関する件につき、外務省とよく連絡をとり報告するよう命じられる。後刻、侍従長より、本日英国駐箚ちゅうさつ特命全権大使によりもたらされた情報として、同皇帝が米国人ウォリス・シンプソンとの御結婚に固執のため内閣と衝突状態にある旨の言上を受けられる。