昭和天皇は、なぜ開戦の決断を下したのか。朝日新聞の北野隆一記者は「側近や侍従長が残した記録には、昭和天皇の知られざる葛藤が描かれていた」という――。(第2回)
※本稿は、北野隆一『側近が見た昭和天皇』(幻冬舎新書)の一部を再編集したものです。
昭和天皇が語っていた戦争への率直な思い
1945(昭和20)年の終戦後、昭和天皇は田島道治ら側近に対し、「勢い」「大勢」という言葉を使って「開戦は止められなかった」との発言を繰り返したことが、『拝謁記』に書かれている。
例えば50年12月26日の『拝謁記』。「兎に角軍部のやる事はあの時分は真に無茶で、迚もあの時分の軍部の勢は誰でも止め得られなかつたと思ふ」と天皇は述べた。
52年5月28日には「今回の戦争はあゝ一部の者の意見が大勢を制して了つた上は、どうも避けられなかつたのではなかつたかしら」と話し、田島が「しきりに勢の赴く所、実に不得已ものがあつたといふ事を仰せになる」と追記している。
53年5月18日にもこう語っている。
「私など戦争を止めようと思つてもどうしても勢に引づられて了つた(略)結局勢といふもので戦争はしてはいかぬと思ひながらあゝいふ事になつた」
昭和天皇だけではない。開戦直前の41年10月まで首相を務めた近衛文麿も、40年に結んだ独伊との三国軍事同盟は「必然の勢」だと述べていた。

