清朝が何もしないから日本が統治した

【兼原】だから日清戦争後の下関条約で、遼東半島にあれほどこだわって三国干渉まで演出した李鴻章が、台湾はいとも簡単に日本に割譲したわけですね。

台湾を取ることを提案したのは井上毅です。井上は台湾の戦略的重要性に目をつけた初めての人間です。当時は、清仏戦争でフランスがインドシナを取った後で、かつ米西戦争に勝ったアメリカが台湾の真下にあるフィリピンに出て来る直前です。

井上は欧州歴訪も経験しているし、牡丹社事件の後、大久保利通について北京での交渉にも行っている。与那国の真横にある九州サイズの巨大な台湾島が、弱体化した清朝から欧米列強に奪われるのは時間の問題だと思ったのでしょう。

ところが、日本と違ってもともと清朝の人間は台湾に何の関心もなかった。

【垂】そうなのですよ。関心がないからさほど投資もしなかった。あまり強調すると「植民地支配の美化」と批判されかねませんが、日本による台湾統治(1895〜1945年)は一定の成果をあげ、台湾社会の近代化を促しました。例えば、植民地財政は比較的早期に安定し、地方交付税のような補助も2〜3年で不要になったと言われています。

安倍晋三よりも有名な「日本人の英雄」

【垂】台湾で今でも最も有名な日本人といえば八田與一です。東京帝国大学工学部を卒業後、若くして台湾に渡り、烏山頭ダムを建設して灌漑事業を進め、嘉南平原を大穀倉地帯へと変貌させました。この事業により水質が改善され、当時蔓延していた病気の抑制にも繋がりました。

八田與一
八田與一(写真=PD-Japan-oldphoto/Wikimedia Commons

今日、台湾で名が挙がる日本人といえば、最近では安倍晋三元首相も挙げられますが、元祖は八田與一でしょう。それほど八田の業績と人物像は強い印象を残しているのです。しかも、各分野で「ミニ八田與一」と呼べるような専門家が日本から派遣され、インフラ整備や農業、教育などさまざまな分野で尽力しました。

彼らにとっても、自ら学んだ知識を台湾という「白紙の場」で試し、実現できることは大きなやりがいであったと思います。

八田與一自身は戦争中にフィリピン沖で亡くなり、終戦直後に妻は烏山頭ダムに身を投じたという悲劇的な物語もあって、台湾の人々の記憶に深く刻まれ、今日に至るまで広く知られています。