保育士の母の背中を追う道への挫折。キラキラしたものを求めて東京へ
東京・赤坂にある和食店に来ている。個室のテーブル席で筆者と向かい合っているのは西日本の某県出身の渋谷美香さん(仮名、26歳)。細身で目鼻立ちがハッキリしていて、ややテンション高めにうれしそうに話す。正統派アイドルのような女性だ。
県内の女子大学に通っていた頃までは「真面目でいい子。学級委員や生徒会を率先して引き受けるタイプ」だったと明かす。人から求められることに応えたかった。子どもが好きなので社会福祉士として児童養護施設で働くことを望んでいたが、それは母親の背中を追っていたにすぎなかったようだ。
「母は保育士として養護施設で働いています。公務員は安定しているようにも感じたので社会福祉士の国家試験を受けたのですが、落ちてしまいました」
渋谷さんはもう一度勉強をし直すことはできなかった。養護施設での研修で、親から虐待を受けた子どもたちと接し、彼らと向き合う責任を負えるのだろうかと不安に感じたことが大きい。それに、ずっと地元にいるよりも、キラキラしたものが好きな自分はやっぱり東京に出てみたい――。
内定をもらっていた東京の会社に就職を決めた渋谷さん。大手出版社の子会社で、いわゆるカスタム出版(制作や流通を出版社が有償でサポートする出版形態。実態はほぼ自費出版)を手がけている。渋谷さんはその会社で書籍の宣伝部門に配属された。もちろん、宣伝広告費は著者から徴収する。
「私は子どもと同じぐらい本が好きなので、児童書の編集者になりたいと思いました。最初からは無理でも、いずれは福音館書店などに転職できたらいいな、と」
2年目でノルマ1億5千万円。夢を売るはずの「カスタム出版」で募る罪悪感
しかし、就職した直後に渋谷さんは2つの意味で新たな挫折を経験する。一つは、出版業界には「すごい読書家」がたくさんいて、自分はとうてい及ばず、編集者を目指すのは無理だと確信したこと。もう一つは、詐欺まがいのビジネスで長時間労働を強いられたことだ。
筆者は20年以上も出版業界にいるので、カスタム出版の際どさはときどき耳にしている。有名人の著作を前面に出して勧誘し、「あなたの本も同じように売れて有名かつお金持ちになれますよ」とほのめかす会社もある。実際には、出版社側は著者からもらう制作費で経営が成り立つようになっており、書籍の販売には力を入れない。そんな労力を費やすぐらいなら新たな顧客(著者)を開拓するほうがはるかに効率的なのだ。
渋谷さんが就職した会社はより悪質だった。制作費だけでなく、宣伝広告費にもノルマがあり、入社2年目の渋谷さんには年間1億5千万円という目標が課せられた。
「社内に配るだけなので宣伝は必要ない、とさっぱりしている著者の方もいます。でも、本が刷り上がる直前のタイミングで営業するので、夢が膨らんで新聞広告などにもお金を出す人は少なくありません。2千万円も広告費を出した資産家のおじいさんもいました」
人と話すことが好きで、真面目さもある渋谷さん。懸命に働いてノルマを達成したものの毎日が憂鬱(ゆううつ)だったと振り返る。
「平日は朝10時前から夜の10時ぐらいまで仕事です。8時台に帰れたことはありません。著者は自分の本を広めたい、売りたいですよね。こちらに手厚いサポートを期待しているのに応えられないしんどさもありました。何年も前に出版した本について著者からどれぐらい売れているかと問い合わせがあったりもします。まったく売れていないことを伝えるのは心苦しいです。はぐらかすたびに罪悪感が募りました」
肉体的にも精神的にも疲弊して、休日は寝潰すような日々。転職活動をする余裕すらなかった。
24歳の今だからできる。退職翌日からメイドカフェのキャストに
「2年目で年収520万円ほどだったので、一般的な会社よりはお金をもらっていたと思います。でも、お金よりも人間らしい気持ちと生活を大事にするべきです。社員が次々に辞めるので、3年目で主任、4年目で係長になったりする人が多いのですが、『この会社での役職なんて欲しくない』と思いました」
まさにブラック企業である。尊敬していた直属の上司(といってもわずか3歳上)が辞めたことをきっかけに渋谷さんは退職を決意する。入社2年目が終わろうとしていた頃だ。人事権のある上長に意向を伝えたところ、「考え直す気は……ないよね」と微妙な応答だった。その頃には12人の同期入社社員はほとんど辞めてしまっていたため珍しくもなかったのだろう。
「でも、会社が嫌だから辞めるとは言いたくありませんでした。社会福祉士を受験し直すつもりもありません。『メイドになりたいんです』と言ってしまいました」
メイドといってもリアルなお手伝いさんのことではない。従業員がメイドのコスプレをするカフェで働きたいという意味だ。上長もコメントしづらかったに違いない。
渋谷さんは本気だった。子どもの頃からマイナーなアイドルを応援していて、高校生時代は大阪の街に行くたびにメイドカフェの有名店に通っていたという。退職前の苦しさもあって恋人とも別れていたので、「失うものは何もない。いま、一番やりたいことをやろう」という気持ちになっていた。
「今は、女の子が女の子を応援するのは当たり前です。かわいいし、その世界観が楽しいんです。30歳からメイドをやるのは厳しいけれど、24歳の今だからできる!と思って、会社を辞めた翌日からメイドをやりました。失業保険をもらいながらウェブデザインの学校に通っていたので、メイドができるのは週3日程度でしたけど」
時給以上に得られた「自分の価値」。前職の荒波で鍛えられた、折れない心
メイドカフェの労働環境は良いとは言えない。アルバイト従業員の容姿と接客を売りにしている割に、時給は他の飲食店とほとんど変わらない店が多い。場末のスナックだってホステスさんは時給3000円ぐらいをもらっていたりする。メイドカフェになじみがない筆者にはやりがい搾取のように思えるが、渋谷さんは以下のように擁護する。
「メイドカフェは大宮さんが想像しているような夜のお店ではありません。私が働いていた店では色恋禁止で、連絡先交換もNG。母も上京したときに遊びに来てくれたような雰囲気です。チェキ(インスタントカメラを使って記念写真を一緒に撮るサービス)をもらってもメイドにバックされるお金は雀の涙ですが、自分の価値を実感できてとにかく楽しいんです。ちなみにお客さんは男女半々ぐらいで、私に限って言えば8割ぐらいが女性客でした。高校生から30代までいろいろです」
渋谷さんによれば、お客さんはお金と時間という「わかりやすい愛の形」を自分に注いでくれる。必要とされるのがうれしいし、自分に会いに来てくれた人を喜ばせられるような言葉と態度を提供したいと強く思った。
「チェキの数で人気順位が露骨にわかってしまうので、多感な高校生や大学生だと病んでしまうこともあります。でも、私は前職で圧倒的に年上の人たちと接していて度胸もついたし、仕事をやり切ったという自負もありました」
それだけ精神的に大人になったのだ。人気が「中の上」どまりでも渋谷さんが病むことはなかった。
「未経験歓迎」の罠。自力での転職に限界を感じ、プロの指南を仰ぐ
メイドカフェでの日々は「すごく楽しかった。青春だった」と語る渋谷さんだが、一方で「人生の主軸にはならない」という客観性もあった。失業保険が切れ、生活費がなくなり、そろそろ本格的な仕事に就かねばと転職アプリに登録。2025年の夏のことだ。
「職業訓練校でウェブデザインを学んだのでそれを生かせる会社を探しました。でも、怪しげな会社ばかりとマッチングしてしまうんです。未経験者歓迎というあたりで怪しいのに採用面接も適当で、すぐに内定をもらえてしまったり。自力で探すと質が悪い案件ばかりが流れてくることに気づきました」
ここで渋谷さんは社会人としての経験値を発揮する。プロの指南を仰ぐという道を選んだのだ。その転職アプリにはキャリアアドバイザーに相談できる無料オプションがあり、渋谷さんも活用したところ、「流れてくる案件の質が一気に改善された」という。どういうことなのか。
「とても親切で有能なアドバイザーさんで、私の頭の中をキレイに整理してくれました。私が就きたい業務は、ウェブデザイン、マーケティング・営業、エンターテインメントの3つの軸。合いそうな会社を一緒に探してくれて、採用面接の後には私も会社を採点しました。項目に沿って点数を付けていると、自分の中での一貫性が問われます。結果として6つのちゃんとした会社から内定をもらうことができました」
筆者は婚活に関する取材をすることが多いので、渋谷さんの手法は婚活にも応用できると付け加えておく。マッチングアプリや婚活パーティーで良い相手を見つけられる人はごく一部で、大半の人は「まったくモテない」「どうにも好きになれない人としかデートできない」「自分を愛してくれない人を好きになってしまう」のどれかである。自分で選ぼうとするから失敗するのだ。
たいていの婚活サービスにはアドバイザーがいて、相性がいい人と出会えれば、さまざまな心強いサポートをしてくれる。筆者のお勧めとしては、プロフィール作成だけでなく「誰にお見合いを申し込むか。もしくは誰のお見合い申し込みを受けるか」もアドバイザーに一任すること。もちろん、こちらの希望は伝えていいが、それから先はプロを活用しない手はない。
空虚な優等生から、自立したオタクへ。自分を大切にすることで開けた前途
渋谷さんの話に戻そう。彼女が転職先に選んだのは、芸能事務所と広告代理店の間に立つ業務を担う会社だ。芸能界と広告業界。前職と同じぐらいブラックな労働環境を懸念したが、それよりも「アイドルや俳優に会いたい」という気持ちが勝ったという。
「アドバイザーの方がちゃんと選んでくれたので、残業も多くない会社でお給料も少しアップしました。私はかなりオタク気質のミーハーなので、芸能人に会えて、そのお手伝いができるなんてすごくワクワクします。大きなことをやりたいという気持ちもあるので、自分が携わった広告が世の中に流れるのもうれしいです」
上京してから4年。この短い期間で自分は大きく変わったと感じている。地元の実家で暮らしていたときは「人の役に立ちたい」という優等生的な気持ちが強かった。しかし、今では「自分がやりたいこと」を優先できるようになった。
「人に求められることは副次的なものになりました。会ってみたい芸能人はまだまだたくさんいます。今は先輩の後ろにくっついていますが、いずれは自分が中心になって仕事をして、芸能人のキャリアにちょっとでも貢献できたらいいですね。オタクとしては最高の仕事です」
社会や他人から求められることは仕事の本質だ。しかし、それが強くなりすぎると自分が空虚になるし、ブラック気質な会社から利用されてしまいかねない。渋谷さんは新卒入社の会社での苦い経験を経て、何よりも自分を大切にすることを学んだ。ワクワクすること、すなわちロマンを感じることを仕事の軸に据えつつ、転職のプロも活用して無理なく働ける労働環境にたどり着いた。まだ26歳の彼女の前途は限りなく明るい。
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