乳製品メーカーから謎の理論で転職してきた

私が相模屋食料に入社したのは2002年。当時28億円だった売り上げが、この約20年で400億円超に急成長しました。そう聞くと、お豆腐市場が拡大しているのかと思われるかもしれませんが、右肩上がりの業界だったわけでは、決してありません。

鳥越淳司
鳥越淳司 Junji Torigoe
相模屋食料社長。早稲田大学商学部卒業。1996年雪印乳業に就職。2002年に相模屋食料へ入社。2007年に33歳で現職に。使命は「おいしいおとうふで日本の伝統の豆腐文化を守り抜き、その未来をつくる」。趣味は「機動戦士ガンダム」。

入社当時の業界を一言で表すとしたら“悲壮感”でしょうか。社長(現会長)のもとに同業界の来客があると、「あそこが潰れそう」「スーパーに買い叩かれた」と暗い話題ばかりでした。

なぜそんなことになったのか。原因は豆腐メーカー自身にあります。

おとうふには1000年以上の歴史があり、かつては各地でおとうふ屋さんが地域の食文化に根差した「地豆腐」をつくっていました。しかし大量生産、大量消費の時代になると、どこのメーカーも量産化に適した四角い木綿・絹豆腐だけをつくるように。どこでも同じ豆腐をつくるなら、価格しか競うところはありません。一方、昔は原価計算をきちんとやっているおとうふ屋さんも少なかった。結果、極端な値下げや買い叩きが横行して、自分たちのクビを絞めていったのです。

私はもともと乳製品メーカー勤務で、社長の三女との結婚をきっかけに転職してきました。以前から経営に興味はありましたが、後を継ぐことを狙って結婚したわけではありません。狙っていたら業界を分析していたでしょうし、分析していたら間違いなく選ばなかった。「牛乳もおとうふも白くて同じ。なんとかなる」という謎の理論で転職してきたのが実態です。

入社して、業界に悲壮感が漂っていることはすぐ気づきました。ただ、相模屋食料は業界が停滞する中でもじりじりと売り上げを伸ばしていた。伝統産業は思考が保守的になりがちですが、先代は成長への意欲が強く、他のメーカーと一線を画していたことが大きかったのでしょう。

たとえば05年には日本最大の豆腐工場を稼働させています。当時の売り上げは32億円でしたが、投資額は41億円。周囲はみんな反対です。ただ、家族の中では私だけが賛成して、「夢をわかってくれるのはおまえだけだ」と義父であった先代に喜ばれました(笑)。

07年に私が社長に就任。最初の転機は、法改正で生協さんが県をまたいで事業ができるようになったことでした。生協広域化は納品するメーカーにとって大きなチャンスです。ただ、生協さんは生産工程のチェックが非常に厳しく、弊社も約1000項目ほど改善のご指摘をいただいた。他のメーカーが尻込みする中で、新参者の私は「なんでも勉強」だと思い手を挙げました。

基準をクリアするのは大変でした。しかし合格後は関東・信越を中心としたコープデリに広く納品できるようになっただけでなく、他のスーパーさんからも「生協さんに認められたのだから」と信頼してもらえるようになった。このあたりから売り上げが大きく伸びて、09年には100億円を突破。業界トップのメーカーへと成長しました。

1位になったとはいえ、それは停滞する業界の中でのこと。さらに成長できた背景には、二つの要因がありました。そしてその二つは、奇しくも同じ年にスタートしています。

(構成=村上敬 撮影=関竜太 図版作成=大橋昭一)

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