東日本大震災の後、植物や虫は予想をはるかに上回る規模で復活し、津波以前よりも増えた。しかし、仙台平野に生まれた「生き物たちの楽園」は、その後の復旧事業でほぼ消滅した。津波の後に起きた予想外の変化について、東京大学名誉教授・養老孟司さんと自然写真家・永幡嘉之さんが話し合った。

※本稿は、養老孟司『日本が心配』(PHP研究所)の一部を再編集したものです。

津波の後の海岸に草原や虫が戻ってきた!

【永幡】東日本大震災後2年目の春になると、植物も虫も、予想をはるかに上回る規模で復活しました。津波以前よりも植物や虫が増えたんです。

仙台平野の海岸には江戸末期から、風で砂が飛散するのを防ぐために、クロマツやアカマツなどが人工的に植えられていましたが、これらが津波とその後の塩害によって枯れたことで、光が地面に届くようになりました。結果、本来あった木々が生長を始め、土中に眠っていた種子が発芽しました。

ズミの花の白、レンゲツツジの朱、砂地を覆うハマエンドウの紫、センダイハギの黄など、マツの造林が行われるよりも前に広がっていた“海岸草原”の姿がよみがえったのです。

もちろん虫も同じです。カワラハンミョウなんて、200m歩く間に80匹も見つかりました。すごい勢いで増えたんですよね。

さらに田畑だった場所では夕方になると、空を埋め尽くすほどの大量のギンヤンマが餌を捕るために、暗くなるまで上空を飛び交っていました。よく戦中から戦後すぐに生まれた方がたから、「昔はギンヤンマが無数にいた」という話を聞いていたんですが、「なるほど、こういう風景だったんだ」と感慨深かったです。

写真=iStock.com/SimonSkafar
画像はイメージです

――わずか2年で、そんなに回復するとは……すごい回復力ですね。

復旧事業でトンボもメダカもいなくなった

【永幡】当たり前と言えば当たり前なんです。人間が堤防や駐車場を造ったり、海水浴場を整備したりして、土地をどんどん使えば、そこはもはや自然環境ではなくなりますから、野生生物のすみかは減ります。それらを巨大津波が根こそぎさらっていったことで、砂浜が元の環境を取り戻したわけです。

堤防がなくなれば、風が通ります。砂浜は内陸のほうまで広がっていきます。もっともそれは、自然の回復力というより、生き物のいる場所が広くなっただけのことです。すみかの面積が広くなれば、生き物の数は必然的に増えます。

――しかし復旧事業が始まって、生き物のすみかがどんどんなくなっていったそうですね。

【永幡】はい。復旧事業が始まると、津波で砂や倒木が重なった土地をブルドーザーが整地していきました。そこにさまざまな動植物が増えていたわけですから、それは言い換えれば、生き物の居場所をどんどん潰していくことになります。

私自身は自然の調査をしたかったのに、人間が復旧事業の名の下にやろうとしていることを傍観できず、それへの対応に多くの時間をつぎ込むことになりました。本来、人間のやろうとすることにはまったく興味がなかったんですが。

先ほど、田畑の跡地に大量のメダカが現れ、空を埋め尽くすほどのギンヤンマが発生していたと述べましたが、排水機場の修理が終わり、一帯の地下水位が50cm下がったら、一帯から水たまりが全て消えたんです。そうすると、トンボもメダカも当然ながら、全部消えてしまいました。震災の3年後ぐらいのことです。