国宝・姫路城大天守は2009年から2015年にかけて大規模な改修工事「平成の大修理」が行われた。歴史評論家の香原斗志さんは「姫路城が現在に至るまでの苦難を考えると、今このお城を見られることは奇跡に等しい」という――。
兵庫県姫路市の国宝・姫路城
写真提供=共同通信社
兵庫県姫路市の国宝・姫路城。中央は西小天守=2024年1月30日

姫路城と法隆寺の決定的な違い

姫路城。いわずと知れた日本を代表する城郭で、まさに天下の名城である。大天守以下8棟が国宝、そのほか74棟が重要文化財に指定され、その数から現存建造物が圧倒的に多いことが伝わると思う。だが、建物がよく残っているから名城なのではない。江戸時代にも名城の誉れ高かった城の建造物が、幸いにも数多く残ったのである。

上記の建造物は昭和6年(1931)に国宝保存法にもとづき、当時の「国宝」(旧国宝)に指定された。昭和25年(1950)の文化財保護法では、旧国宝は「重要文化財」と呼び名が変わり、なかでも特別に価値があるものだけが「国宝」と呼ばれることになった。姫路城の大天守以下8棟は、その翌年にはあらためて国宝(新国宝)に指定されている。問答無用の価値があったということである。

また、平成5年(1993)12月には、「法隆寺地域の仏教建造物」とともに日本初の世界文化遺産に登録されている。

まさに日本を代表する文化遺産であり、歴史的建造物なのだが、じつは、事ここに至る前の道のりには、少しも平坦なところがなかった。姫路城の苦難の歴史を知れば、よくここまで倒壊せず、焼失することもなく持ちこたえたという感慨をいだかざるをえない。