史実にかなり忠実な令和の復元城
桜の季節の城もいいが、人でごった返してじっくり鑑賞しにくいというデメリットがある。その点、新緑の季節は気候が心地よく、そのうえ緑が壁面に映えた建造物も、石垣や堀の水も美しい。城めぐりにうってつけの季節を迎えて提案したいのは、近年、それも令和になって復元された建造物がある城の訪問である。
かつて城の復元、または復興は、観光のシンボルにすることを優先するあまり、史実を踏まえず拙速に行われることが多かった。しかし、昨今の復元はいずれも、文献や図面、古写真などを調査および解析し、発掘調査を重ねたうえで、伝統工法をもちいて、可能なかぎり史実に忠実な姿を再現するように試みられている。
また、以前は天守なら天守を建てれば終了という一点豪華主義が主流だったが、昨今はひとつの建造物という「点」ではなく、城郭を「面」で復元および整備しようという動きが主流になっている。そのあたりの事情は拙著『お城の値打ち』(新潮新書)にも詳述したが、私は好ましい傾向だと思っている。
猛暑に見舞われる前に、令和の復元の事例を観察してみてはどうだろうか。木造建築は風雨にさらされ、すぐに古色を帯びてくる。しかし、令和の建築はまだ、白木の生々しさを維持している。かつて築かれたばかりの城は、どんな雰囲気を漂わせていたのか。復元されたばかりの建造物は、そんなことも理解させてくれる。
いずれも甲乙つけがたい価値ある復元だが、あえて順位をつけてみた。
旧国宝の門を80年ぶりに復元
北面は瀬戸内海に接し、波が石垣を洗う日本最大の海城だった高松城(香川県高松市)。天正15年(1587)に豊臣秀吉から讃岐(香川県)一国をあたえられた生駒親正が築城を開始した。寛永19年(1642)には水戸光圀の兄、松平頼重が入封している。城の前面の海は埋められたものの、いまも堀には海水が引き入れられ、タイやボラが泳ぐ。
そこに令和4年(2022)7月、桜御門が復元された。これを第6位としたい。桜の馬場と三の丸を画する位置に建っていたこの櫓門は、生駒時代の建築とされ、藩主御殿の正門として機能していた。昭和19年(1945)には旧国宝に指定されたが、惜しくも翌年の空襲で焼失してしまった。
幅12メートル、高さ9メートルで、外壁に下見板が張られたこの門は、図面は残っていなかったが、戦前まで存在したために明瞭な古写真はあった。それに発掘調査の結果を加えて、外観はかなり正確に復元されている。