福岡市の本気
福岡藩52万石の居城だった福岡城(福岡市中央区)は黒田長政が、関ケ原合戦の翌年から7年をかけて築いた。最盛期には47もの櫓が建ち並び、壮観を呈していたようだ。しかし、明治以降は陸軍歩兵第24連隊駐屯地が置かれ、建造物は消えていった。それでも明治後半までは、まだ多くの櫓などが残っていたが、明治末年から大正にかけて市内の黒田別邸や寺院などに移築されてしまった。
黒田別邸に移され、そこが空襲を受けても焼け残った櫓が昭和36年(1956)、大手門に相当する下之橋門の脇に移築され、伝潮見櫓とされていた。だが、これは古写真を見るかぎり本丸裏門脇の太鼓櫓で、本物の潮見櫓は明治41年(1908)に市内の崇福寺に移築され、仏殿として使われていた。
福岡市は平成2年(1990)にこの仏殿を買い上げて調査し、潮見櫓であったと確定。2重2階で東と南に付櫓がつくという構造が明らかになった。そして、かつて海を見渡す地にあった元来の石垣を発掘し、石が抜け落ちたところは江戸時代の工法で復元。そこに可能なかぎり古材をもちい、失われた部材には新材を使い、令和7年(2025)3月に復元作業が完成した。これを第5位に挙げる。
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