「槍の又左」と称された前田利家
大河ドラマ「豊臣兄弟!」(NHK)の第5話で前田利家(大東駿介)が登場する。利家は信長(小栗旬)のお気に入りの家臣であり、秀吉(池松壮亮)の大親友で、そのため、豊臣政権では「五大老」に任じられ、江戸時代は加賀百万石の祖となった。
実は前田家はそれ以前からけっこうな名家だったようだ。
天文23(1554)年頃、今川義元(大鶴義丹)が知多半島北部の村木(愛知県知多郡東浦町森岡)に砦をつくって水野家(徳川家康の母の実家)を討伐しようとすると、織田信長は暴風雨の中を救援に向かった。当時、信長は那古野城を居城としていたが、尾張国内にまだ反対勢力が居たことから、義父の斎藤道三(麿赤兒)に留守部隊の出兵を要請。斎藤家臣・安藤守就(田中哲司)が1000の兵を率いて那古野城北に在陣した。これに信長家臣・林秀貞(諏訪太朗)は不服を漏らして、与力の前田与十郎の居城・荒子城(名古屋市中川区荒子町)に退去した。
林は当時信長家中の筆頭家老と思われる人物である。その人物が籠城するくらいだから、前田与十郎はかなりの有力者だったと思われる。ただし、前田利家は、この与十郎家の分家の前田蔵人利昌(利春、家則ともいう)の、そのまた四男坊だったらしい。
那古野城はそもそも那古野今川家といって、鎌倉時代に分かれた今川家の支流が城主だった。それを信長の父・織田信秀が、天文7(1538)年頃に謀略で落城して居城とし、天文15(1546)年に那古野城に信長を置いて、古渡城に移住。さらに末盛城に移った。
信長の家臣となり戦で暴れる
つまり、信長家臣の原型は那古野今川家の家臣団だった可能性が高い。そんなに大身の侍はいない。そして、信秀は移住先の末盛城で佐久間信盛(菅原大吉)・柴田勝家(山口馬木也)ら大身の侍を傘下に付け、信長の弟・織田信勝(一般には信行)がかれらを家臣として継承した。
そこで、信長は那古野周辺にすむ侍の次男坊・三男坊をカネで傭って武力を蓄えた。それが丹羽長秀(池田鉄洋)であり、前田利家(四男坊だが……)なのだ。その延長上に、侍ですらない木下藤吉郎(池松壮亮)や小一郎(仲野太賀)がいる。
かれらには佐久間信盛のように多くの家臣を抱えていた訳ではない。だから、自分の才覚でのしあがっていくしかない。さしづめ、頭脳派の丹羽長秀・木下藤吉郎と、武力派の前田利家・佐々成政というような感じだろう。「豊臣兄弟!」には利家の妻・まつ(菅井友香)も出てくるが、秀吉とは近所づきあいがあり、家族ぐるみで仲が良かった。

