「豊臣兄弟!」(NHK)では桶狭間の戦いで織田信長軍が今川義元の首を取る。系図研究者の菊地浩之さんは「鎌倉時代からの名門、今川家は存亡の危機に陥るが、義元の子・氏真は家康とのつながりがあり、今川家は江戸時代も役職を得た」という――。
歌川豊宣・画「尾州桶狭間合戦」明治15年(1882)
歌川豊宣・画「尾州桶狭間合戦」明治15年(1882)(写真=CC-PD-Mark/Wikimedia Commons

桶狭間の敗戦で一気に没落

大河ドラマ「豊臣兄弟!」(NHK)の第4話ではいよいよ桶狭間の合戦が描かれる。

永禄3(1560)年5月19日、駿河(静岡県東部、静岡市の周辺)の守護大名・今川義元(大鶴義丹)が、織田信長(小栗旬)の軍勢によって桶狭間おけはざま(名古屋市緑区有松町桶狭間。愛知県豊明市栄町の二説がある)で討ち取られたのだ。

義元は大軍を率いて織田軍を圧倒していたが、300人くらいの旗本に囲まれ、桶狭間で休憩を取っていた時に信長の襲撃に遭い、討ち死を遂げた。今川軍は大混乱に陥り、数多くの武将が討ち死にした。2017年大河ドラマ「おんな城主 直虎」では今川軍に従軍していた井伊家(幕末の大老・井伊直弼を出した)の当主らが命を落としていた。そして、能役者・野村萬斎が義元を演じた2023年大河ドラマ「どうする家康」で描かれたように、桶狭間の合戦以降、武家の名門・今川家は没落していく。

室町将軍家の子孫だったのに

桶狭間の戦いの直後、義元の子・今川氏真うじざねは尾張に出陣しようと試みたが、義元に代わって家臣等に所領を安堵する「代替わり安堵」政務、妻の実家・小田原北条家に対する長尾景虎(上杉謙信)侵攻への援軍派遣などに手間取られた(黒田基樹著『徳川家康と今川氏真』)。その間、支配下にあった三河の徳川家康(松下洸平)が織田信長と同盟を組んで今川家から独立(三州錯乱)。さらに、遠江引間城(のちの浜松城)の飯尾連龍いのおつらたつら国衆が今川家に対して叛旗はんきを翻した(遠州忩劇そうげき)。

甲斐(山梨県)の武田信玄(高嶋政伸)は氏真にとって実の叔父にあたるが、その様子を見て、永禄11(1568)年に駿河に侵攻した。今川家重臣は信玄に調略され、武田軍に内応。今川氏真は遠江懸川城かけがわじょう(静岡県掛川市)へ逃げ落ちた。室町幕府を興した足利将軍の支流であり、駿河守護を代々務めた名門・今川家が完全に没落してしまったのである。

ここでは、今川家の発祥から滅亡までの歴史をたどっていこう。