「文系」という言葉を、日本語や英語といった「自然言語」で思考を進める人という意味でとらえるならば、私はこれからは「文系の時代」が来ると思っている。
その最大の根拠が、人工知能の発達が「大規模言語モデル」というかたちで起こったことである。従来、言葉は曖昧であり、緻密でシステム的な思考には向いていないともされてきた。しかし、さまざまな言語に依拠した大規模言語モデルは、論理的な推論から、「世界モデル」まで、人工知能の高度な能力の基礎になることが示されたのである。
数学はこの世界を理解するうえで有力な方法であると見なされている。一方で、方程式や統計といった従来の厳密科学のやり方だけでは、私たち人間が住むこの世界についての網羅的で有機的な知を築き上げることは難しいことも見えてきている。その意味で、大規模言語モデルの隆盛は、自然言語の復権であり、文系の逆襲であると言える。
ただし、だからといって文系がこれから優位になると勘違いしてはいけない。以下で述べるように、数学的なセンスがなく、定量的な分析ができない文系は、現代社会では役立たずであるとも言えるからである。「文系だから数学はいらない」と考える人の末路は、やはり厳しいものになってしまう。
大規模言語モデルで高度な知性が実現できるといっても、そこで用いられている思考のパターンは、日本でいわゆる「文系」の知識として重視されてきたものとは必ずしも一致しない。
例えば、日本の大学の文系の入試では、日本史や世界史のうち、多くの人々が知っているような事実ではなく、受験生のうち一部しかたどり着かないような細部の知識を問う出題が行われてきた。そうしないと差がつかないからだが、人工知能時代にそのようなクイズ的教養にあまり価値がないことは言うまでもない。
また、人工知能の進化によって、法律や会計といった、従来の文系の専門知識、資格の意味も、相対的なものになってきている。実際、これらの分野における人工知能の応用はこれからますます重要になり、人間の役割は補助的なものになると予想される。
このような時代には、言葉によって人間や世界を把握する文系的センスと、数学に象徴される定量的に世界を把握し、分析する能力を併せ持つ人が最強の存在となる。もっとも、考える際に細かい数字や方程式を直接扱う必要はない。むしろ、世の中のさまざまな事象に対して、感想や印象だけでなく、量的につめた評価をできることが大切なのである。
コンサルティング会社の面接などで時々問われる「フェルミ推定」がそのような厳密な思考の例となる。
物理学者のエンリコ・フェルミに由来するフェルミ推定は、「シカゴにピアノの調律師は何人いるか」といった問いに対して、世帯数やピアノを所有している割合、年間の調律回数、そして調律師の働き方などを通して概算する。
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