「居場所がない」ことが、実はチャンスである理由

私たちは、どこかに所属したいという本能を持っている。自分はこのグループの一員であるということで、安心感を得るのである。

私たちは、さらに、仲間内とそれ以外を区別したがる。社会学的には「内集団」(イングループ)と「外集団」(アウトグループ)と呼ばれ、ある人物がどちらに分類されるかで私たちの態度は変わってくる。自分が内集団に分類されるかどうかが、安心と不安の分かれ道になる。

私たちは、どうにかして内集団に所属したいと心の中で思っている。進学や就職が、人生の一大事になる。「私は一匹狼だ」と強いことを言っている人も、案外、どこかの内集団に入ると安心するものである。

内集団に属する方法は、いろいろある。志望校に入学したり、会社に就職することはいわば「王道」である。スポーツ観戦で特定のチームを応援したり、アイドルグループの「推し活」をすることも、内集団の一員だと感じる方法論である。

内集団に属することは人間の強い欲望なので、そのために人々は努力するし、競争もする。世間の需要に応えて、入学や就職をサポートしたり、様々な内集団を用意して、人々にそこへの所属を促すビジネスも隆盛している。

このように、内集団への所属感はとても大切だが、それにこだわってしまうと、変化の激しい現代では、かえって心の平和や幸福を乱すことになりかねない。実際、世の中を見ると、ある内集団に所属していることに固執することで、かえって人生がうまくいっていないケースが多いようである。

私たちは、「強いきずな」でつながっている内集団の中でのコミュニケーションから多くのものを得るが、一方で、時に、ある内集団を重視しすぎるあまり、そこに属しているかどうかで仲間内とそれ以外を区別し、場合によってはそれが差別や偏見に結びついてしまうこともある。

そもそも、内集団と外集団の間の区別は、小さな違いで生まれてしまうことが社会学的にはわかっている。例えば、ある学校のクラスの生徒を、抽象画家のクレーとカンディンスキーのどちらが好きかで2つに分ける実験では、もともと些細な相違であるにもかかわらず、仲間内とそれ以外の強い区別が生まれてしまうのである。

何事も流動的な現代では、むしろ、内集団と外集団をあまり区別せずに、自由に行き来できる人のほうが、結果として「ドット」と「ドット」を結んでクリエーティブな仕事ができることが多い。開放的で形式にはとらわれない「弱いきずな」「ゆるいつながり」のほうが、様々な学び、気付きのきっかけになるのである。

新しいチャンスは、違うコミュニティの人との「弱いきずな」を通してやってくることが多い。
写真=iStock.com/Comeback Images
新しいチャンスは、違うコミュニティの人との「弱いきずな」を通してやってくることが多い。

さまざまな企業で、研究開発を自社の中だけに囲い込まないで、社外とのゆるいつながりもうまく使って進めていく「オープンイノベーション」が採用されているのは、変化の激しい時代に適応したやり方だと言える。とりわけ、人工知能のように進化が速い分野では、ゆるいつながりを通した協力のほうが、内集団の中の強いつながりに基づく取り組みよりも結果として創造的であることが多い。

(撮影=相澤 正 写真=iStock)

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