東大に前田家の赤門があるワケ
ではなぜ、東京大学が加賀藩邸の赤門を引き継いだのか。
明治期の当主・前田利嗣は、絶世の美女・鍋島家の姫に求婚した。OKはもらえたが、その条件は「側室は置かないでほしい」というものだった。夫妻には一人娘しか授からなかった(前田利長の再来のようだ)。
そこで、前田家家令は親族の前田家から婿養子を迎えるべく、年頃の候補者について学習院から入学以来の身体検査表と成績考科表を取り寄せ、旧上野七日市藩の四男を婿養子に選んだ。前田利為である(これも前田利常の再来のようだ)。
侯爵にして軍人、前田利為
利為は成績優秀で政治家を志したが、叔母にあたる有栖川宮妃が「華族は皇室の藩塀であるから、軍人になるのが義務」と強硬に主張。利為は陸軍士官学校から陸軍大学校に進み、3番の成績「恩賜の軍刀」組として卒業。ドイツ、イギリス、フランスを私費留学し、第一次世界大戦時には欧米諸国を視察。視野の広い国際派軍人になっていく。
そして、利為にはその広い視野を活かす、前田家の莫大な資産があった(現在の貨幣価値で1500億円以上といわれる)。旧加賀藩前田邸に隣接する東京大学が拡張工事をするにあたり、駒場にある東大農学部と土地交換とした。そのため、前田家伝来の赤門が東京大学のシンボルになったのである。


