28億円かけた「平成の大修理」
それから45年を経た平成11年(2009)6月に着工され、同17年(2015)3月に竣工したのが「平成の大修理」だった。
まず、世界遺産への登録を機に、1994~2022年の29年間におよぶ「平成中期保存修理計画」が策定され、大天守を除く81棟の修理保存計画が立てられた。こうして姫路城の建造物全体について、漆喰の塗り直しや屋根瓦の交換が進められるなか、昭和の修理が終わって45年を経た平成11年から、大天守が修理されることになった。
その主な内容は屋根の全面葺き直し、壁および屋根の目地の漆喰塗り直し、一部の柱の構造補強だった。修理の期間中に覆っていた素屋根が取り払われると、屋根の目地の漆喰が鮮やかで、全体が真っ白に見える天守が現れ、「白すぎ城」などといわれたのは平成17年(2015)のことだった。
大天守の修理は事業費が28億円だったという。これは平成16年(2004)に木造で完成した大洲城天守の復元事業費13億円の2倍を超える。現在、不同沈下は収まっているものの、平成の修理後も老朽による傷みはあちこちで報告されている。いずれまた解体修理も必要になるだろう。
だが、そのように苦労して後世に引き継いでいくべき遺産が、偶然と幸運の連鎖によってこうして残っていることには、感謝の気持ちを禁じ得ない。