※本稿は、北尾トロ『ラーメンの神様が泣き虫だった僕に教えてくれたなによりも大切なこと』(文藝春秋)の一部を再編集したものです。
自主トレと根性で釜場を死守
【北尾トロ(以下、北尾)】その後、山岸さんは現場に復帰されたんですか。
【田内川真介(「お茶の水、大勝軒」代表、以下、真介)】はい。しばらく休養して復帰したんですけど、足の具合が相当に悪くて、厨房にいる時間は極端に減ってスープのチェックをするくらい。外の椅子に座ってお客さんの相手をする時間が長くなっちゃった。
【北尾】それが絵になるので、象徴的な存在としてますます人気が高まるという好循環が生まれていた。そうなると、厨房を仕切るのは相変わらず柴木さんということですね。
【真介】釡場という麺を上げるポジションがあって、そこが店の司令塔にあたるんです。茹でた麺をざるで上げたり、器にスープを入れる最重要ポジションで、マスターがいるときはそこに陣取っています。
【北尾】初入店した小学生のとき、カウンターに座ったら目の前に山岸さんがいた、あの場所だ。
【真介】そこにはマスターのほかは柴木さんなど数人のベテランしか立てない。昭和二十年代かと思うような古い釡を使っていて、平ざるという丸いざるで麺を上げるんですが、その扱いが難しいんですよ。なかなか麺がまとまらない。
【北尾】私も町中華の店主に「やってみな」と言われて平ざるを触ったことがあるので、手際よく麺をまとめるには経験が必要なのはよくわかります。その技術はどこで練習したんですか。
【真介】自宅でやるしかないですよね。麺上げができなければ修業を終えられないのがわかっていたので、平ざるを自分で買って、余った麺をもらってきて自宅の風呂場で練習してました。あとは仕事の空き時間に首にかけているタオルをボウルの中に入れて上げるとか、江戸川橋にいたときから腱鞘炎になりそうなくらいやりました。
【北尾】いつだったか、びっしり小さな文字で作業のポイントをメモしてある染みだらけの小さなノートを見せてくれましたね。あれも江戸川橋から始めたんですか。
【真介】はい。材料とか調理時間とか、わからないことを質問して、そのたびに現場で書き記してました。厨房で書くからすぐスープや醤油の染みだらけになっちゃう。やることがいっぱいありすぎて、そうでもしないと覚えられない。