研修生のタイムテーブル

【北尾】かなり忙しかったみたいですが、研修生の一日のスケジュールを教えてください。

【真介】二パターンあって、早番は四時に出勤して十六時まで。遅番は六時に出勤して十七時まで。

【北尾】その二つは何が違うのですか。

【真介】早番はチャーシューを作るんです。それからスープなどの仕込みをして八時にまかないを食べます。研修生が多いので、その中でできる人が他の研修生に教えながらやっていました。

【北尾】仕込みで技術を習得していかないと、十一時に開店したら午後三時の閉店までは忙しくて試行錯誤している余裕なんてないんでしょうね。店の前にずっと行列ができているんですから。

【真介】はい。週末になると朝七時から並んでいる人もいましたよ。酒を飲みながら待っている客もいて、開店時にはベロベロになってる。

営業が終わると、片づけをして、まかないを食べて終わりになります。僕は釡揚げ以外だと製麺をよくやらされましたが、肉体労働だからすごく疲れるんです。家に帰って入浴したら、あとはもう寝るだけ。江戸川橋店にいた時にはみや子とふたりだけで店をやっていくのもいいと思っていましたけど、毎日へとへとになって身体がもたないので、その考えを捨てましたね。

【北尾】繁盛店になればなるほど寿命が縮みそう。

【真介】こんなに人数がいても朝から働きづめなのに、ひとりでやったら継続できない。やるなら分業制にして、スタッフを何人か入れようと決めました。

【北尾】まかないは何を作るんですか。

【真介】予算二千円と決まっていて、納豆とサラダ、味噌汁は絶対につけなきゃいけないルール。いろいろ作りましたよ。ハムエッグ、焼き鮭とか。二週間ごとの当番制でやってました。

【北尾】ところで、山岸さんから直接指導を受ける機会はあったんですか。

北尾トロ『ラーメンの神様が泣き虫だった僕に教えてくれたなによりも大切なこと』(文藝春秋)
北尾トロ『ラーメンの神様が泣き虫だった僕に教えてくれたなによりも大切なこと』(文藝春秋)

【真介】マスターはスープの出来を見るくらいだから、修業期間の前半はほとんど接触がなくて、ひたすら柴木さんのしごきに耐えてました。うっかりポカをすると丼まで飛んできましたからね。令和の時代にはあり得ない昔ながらのスパルタでした。

【北尾】鬼軍曹だ。

【真介】口が悪くて、指導も厳しすぎるから途中で逃げ出す研修生も多かった。それなのに、仕事が終わると優しくなって「田内川、飲みに行くぞ」と酒をおごってくれたりもするから、こっちはわけがわからないですよ。でも、当時はわからなかったけど柴木さんも大変だったと思います。マスターが倒れていた間、店を支えていたんですから。