※本稿は、北尾トロ『ラーメンの神様が泣き虫だった僕に教えてくれたなによりも大切なこと』(文藝春秋)の一部を再編集したものです。
「僕はいい下っ端になれるんですよ」
【田内川真介(「お茶の水、大勝軒」代表、以下、真介)】「のれん分けした店でもいいので、どこか働かせてくれる店はないですか」って頼んでみたら、江戸川橋「大勝軒」に電話をしてくれて、二〇〇五年の春から三カ月間の約束で受け入れてもらえることになりました。
【北尾トロ(以下、北尾)】期間限定の“預かり”でかろうじて滑り込んだんだ。(東池袋店にいた)柴木さんにとっては、真介さんに教える手間がかからなくて都合がよかったんでしょうね。
【真介】僕としても、肩慣らしを兼ねて江戸川橋に入って、基礎を学んだ上で、(療養中の)マスターが復帰したときに東池袋に戻れればちょうどいい。そのときは江戸川橋に入れて幸運だったと思ってました。修業を終えた研修生が三人でやっていて、やる気もあって雰囲気もよかったんです。
【北尾】変則的な形ではあったけど、江戸川橋の手伝いスタッフとして修業生活が始まった。でも、気ままなフリーター生活からいきなりタテ社会に入って戸惑うことはなかった?
【真介】まったく平気でしたね。それまでも、サバゲーのチームや勝浦のバナナボート屋とかで、規模は小さいながらも組織的にやっていましたから。
【北尾】でもそれまでは、自分で立ち上げたチームだからトップの役割だったでしょう。今度はいちばん下っ端からやらなければならない。
【真介】それが、じつは僕はいい下っ端になれるんですよ。トップをやったことがある人は、下が何をしてくれたら嬉しいかわかるじゃないですか。指示を出される前に先読みしてやっておくとか。ところが、トップを経験したことがない人は、その場の状況を俯瞰して見られないから場当たり的にやりがちなんです。僕は上の考えていることが想像できた。とにかく結果を出さなければならないので必死にやりましたよ。