最強の弟子になるための心得
【北尾】でも、東池袋に戻ったらまた一番下っ端からのスタートになったんでしょう。いつも店には弟子がたくさんいたみたいだし。
【真介】マスターは志願者をほぼ無条件に受け入れていたので、僕が弟子入りした二〇〇五年当時の東池袋には全国から集まった弟子が、常時十人はいました。マスターの方針は、来る者拒まず去る者は追わず。修業して出店した弟子は百人以上と言われていますが、修業に来たのはその倍以上いたはずです。そんなラーメン屋、聞いたことがないですよ。
【北尾】いろんな事情を抱えた弟子入り希望者がいそうですね。
【真介】マスターはどんな経歴の志願者にもチャンスを与える人でした。修業期間も何年もかかる人がいるかと思えば、半年で独立していく人もいる。一週間で逃げていく人もいました。店では修業中の弟子のことを研修生と呼ぶんですが、レベルの差が大きかった。できる人、やる気のある人はどんどん伸びるけど、弟子になることだけで満足して消えていくような人も結構いたなぁ。
【北尾】入門料や指導料を取らないこともあって本気度がまちまちなんですね。
【真介】ただ、たくさんの弟子がいても、厨房内で働けるのはせいぜい三、四人。大事な仕事は店のスタッフがやるから研修生はなかなかやらせてもらえない。それ以外の人が何をするかといえば、製麺やフロアを担当できればいいほうで、残りは外で行列の整理です。
【北尾】十六席の狭い店ですからそうなりますよね。
【真介】僕は研修生は弱肉強食の世界だと思ってたんです。いくら行列の整理がうまくなっても、アイツはがんばっているから厨房に入れてやろうとはなりません。早く厨房に入るためにはどうしたらいいのか。自分の武器を作ることだ。じゃあ、自分の武器って何なんだろうと、江戸川橋にいたときからいつも考えてました。
【北尾】そうでもしないと埋没しかねない。
【真介】そうなんです。研修生の仕事は、そばを打つ製麺、チャーシューを煮る、スープの仕込み、接客やレジ、掃除まで、いろいろとありますが、人数が多いので待っていたら仕事が回ってこないし、言われたことだけやっていても仕事を覚えられない。だから自分で探してやるか、教わって、先輩より良いものを作っていかないと研修期間が延びるだけなんです。そこで、まず僕は仕込みのときに存在感を示しました。
【北尾】江戸川橋で一通りやっていたから、ブロックごとに肉をさばくのも、麺を打つのも、一人前にできるようになっていたんですね。
【真介】そうです。普通は厨房に入れてもらうまで二、三カ月はかかるんですけど僕は早かった。というのも、柴木さんが「代打、田内川」とかって無茶振りするからなんですけど。
【北尾】柴木さんも、なんだかんだ言って認めてくれていたんだ。
【真介】いや、僕のことをつぶしてやろうと思っていたんじゃないですかね。そこで失敗したら当分チャンスは巡ってきませんから、慣れないうちにやらせてつぶそうと考えていたと思います。ところが、できるもんだから、ますます憎たらしい。柴木さんとはいまでこそ親しくさせてもらい、やる気とガッツのある研修生を、短期間で独立させる手段だったことが理解できるようになりましたが、修業中はもういつもバチバチ。「つぶしてやる」「やられてたまるか」の毎日でしたよ。