「愛子天皇待望論」にはどのような背景があるのか。皇室史に詳しい宗教学者の島田裕巳さんは「単なる『愛子さま人気』の問題ではなく、いったんは女性天皇、さらには女系天皇が20年前に国民に容認されたことにその基盤があるのではないだろうか」という――。

宮中晩餐会デビューした愛子内親王

愛子内親王がさまざまな公務に携わる姿が頻繁ひんぱんに報道されるようになってきた。

3月25日には、国賓として来日したブラジルのルーラ大統領夫妻らを招いて、皇居の宮殿で宮中晩餐会が開かれたが、それが愛子内親王にとっては晩餐会デビューとなった。右隣にはブラジル国会の下院議長が座り、内親王は議長となごやかに懇談したと伝えられている。

ブラジルのルラ大統領夫妻との宮中晩さん会に出席された天皇、皇后両陛下の長女愛子さま=2025年3月25日夜、宮殿・豊明殿(代表撮影)
写真提供=共同通信社
ブラジルのルラ大統領夫妻との宮中晩さん会に出席された天皇、皇后両陛下の長女愛子さま=2025年3月25日夜、宮殿・豊明殿(代表撮影)

こうした形で愛子内親王についての報道が増えていくにつれて、「愛子天皇待望論」が今まで以上に熱く唱えられる勢いになっている。

もちろん、現在の皇室典範の規定によれば、女性皇族が天皇に即位することはあり得ない。男系男子と定められているからである。

しかし、「愛子天皇待望論」が唱えられる背景には、いったんは女性天皇、さらには女系天皇が容認される出来事がすでに起きたことにその基盤があるのではないだろうか。今回は、そのことについて考えてみることにする。

雅子皇太子妃と愛子内親王の誕生

現在の天皇と雅子皇后が結婚したのは1993年6月9日のことだった。それは、現在の上皇と美智子上皇后の「ご成婚」の再来として多くの注目を集めた。成婚パレードには19万人の人出があり、テレビ中継の最高視聴率はNHKと民放をあわせて77.9パーセントにも達した。

すでに株価や地価の下落という事態は起こっていたものの、まだ「バブル」の雰囲気が当時の日本社会には色濃く漂っていた。そうした社会のありようが、新たな皇太子妃の登場を国民全体が歓迎する空気に結びつけたように思われる。

ただ、皇太子夫妻は結婚後、なかなか子どもに恵まれなかった。1999年12月には、朝日新聞が懐妊をスクープしたものの、流産という結果になった。

新たな懐妊が発表されたのは2001年4月になってからのことで(正式発表は5月15日)、愛子内親王が誕生したのは同年12月1日のことだった。

秋篠宮家には、それまでに眞子・佳子内親王が生まれていた。ところが男子は生まれておらず、皇族においては秋篠宮文仁親王が1965年に生まれて以降、愛子内親王で9人連続女子の誕生が続いたことになる。