女性天皇誕生を阻んだ新たな懐妊報道
小泉首相は、2006年2月10日に召集される通常国会において皇室典範改正案を成立させる方針を固めていた。
ただ、男系での継承の維持を主張する保守派からの反対の声は大きく、小泉内閣は窮地に立たされていた。私はその当時、東大の先端科学技術研究センターの特任研究員をしており、政治学者の御厨貴氏の研究室に所属していたが、御厨氏とそのことについて話し合った記憶がある。小泉内閣はかなり危ないのではないかというわけである。
ある意味、そこで小泉内閣を救ったのが、秋篠宮の紀子妃懐妊という報道だった。通常国会が開かれる直前の2月7日午後2時過ぎ、NHKの速報としてそれが伝えられた。宮内庁長官は、その日の夜の記者会見で、出産予定日は9月末ごろになると発表した。
もちろん、その時点で、親王が生まれると決まったわけではなかった。しかし、皇室典範改正の動きは止まり、小泉首相も皇室典範の改正案を国会に提出することを見送り、事態を見守る姿勢を示した。
かくして悠仁親王が誕生し、皇室典範を改正する動きは途絶える。それによって、愛子天皇が誕生する可能性は、いったんは完全に潰えたのである。
選択肢を広げることが唯一の解決策
しかし、愛子内親王が誕生した2001年から、悠仁親王が誕生する2006年までの間、皇位継承資格者の確保をめぐって活発な議論が展開され、愛子天皇を待望する声が高まったことは事実である。そのときのことが記憶され、現在の「愛子天皇待望論」に結びついているのではないだろうか。そうしたことについては、近々刊行する拙著『日本人にとって皇室とは何か』で詳述したので、興味のある方には是非読んでもらいたい。
日本国民は、一度は、現代において女性天皇が誕生し、皇位が女性によって継承されることでいっこうに構わないと考えた。逆に、一般国民のなかに、それに反対する者は少なかった。国民の多くは、男系男子での継承にこだわる保守派ではないからである。
皇位継承の安定化を図ろうとしても、妙案は浮かんでこない。その際には、選択肢を広げることが、ただ一つの解決策になる。
悠仁親王が将来において結婚し、その家庭に男の子が生まれるかもしれないが、少なくとも女性天皇に道が開かれるよう、皇室典範を改正しておくことも必要ではないだろうか。日本の国家もかつてはその方向に踏み出したわけだから、それは決して不可能なことではないのである。