女性天皇を容認する発言が相次ぐ状況

しかも、愛子内親王が誕生してからすぐの12月9日に、雅子皇太子妃は38歳の誕生日を迎えた。果たして第2子の出産はあり得るのか。たとえ、それがかなったとしても、男子の親王が生まれる保証はない。

2002年、生誕3カ月頃の愛子内親王
2002年、生誕3カ月頃の愛子内親王(写真=在チェコ日本国大使館/CC-BY-4.0/Wikimedia Commons

そういう状況のなか、愛子内親王の誕生直後に、政治家からは女性天皇を容認する発言が相次いだ。自民党の野中広務元幹事長は、テレビの報道番組で「日本は男女共同参画社会を目指しており外国にも(女帝の)例がある。改正は当然あっていい」と、皇室典範を改正し、女性天皇を認める必要があることを示唆した。

当時の福田康夫内閣官房長官も、女性天皇を肯定する発言を行い、小泉純一郎首相も「女帝を否定する人は少ない」と発言した。野党だった民主党の菅直人幹事長や自由党の小沢一郎党首も同様に、女性天皇を認める発言を、この時期行っている。同年末に行われた世論調査でも、女性天皇に道を開くことに「賛成」が過半数を占め、「反対」が初めて1割を切るという結果が報道された。

「女性・女系天皇」への方向性を示した有識者会議

愛子内親王の誕生後、さらに親王の誕生が期待された。だがそれは、雅子皇太子妃に対して大きな負担を負わせることに結びついていく。やがて皇太子妃は、2003年12月に40歳を迎えた。もちろん、その年齢で子どもを生むことはいくらでもあるわけだが、年齢を重ねることで、その可能性が低くなったことも事実である。

そうした状況のなか、小泉首相は2004年12月27日、「皇室典範に関する有識者会議」という私的諮問しもん機関を設置した。座長には吉川弘之元東京大学総長が選ばれ、法律、政治学、歴史学、経済学などの分野から10名の専門家が委員としてこの会議に参加した。

約1年をかけて審議を行った結果、有識者会議は2005年11月24日に最終報告書を小泉首相に提出している。この報告書では、女性天皇、さらには女系天皇を容認する方向性が打ち出された。皇位継承者を男系男子に限る現行の皇室典範の規定では、将来において継承者が「不在」となる恐れがあり、それを女子や女系の皇族に拡大することで、戦後の象徴天皇制を安定的に維持する必要がある――このように結論づけられたのである。