※本稿は、岡嶋裕史『子どものSNS禁止より、大人のX規制が必要な理由』(光文社新書)の一部を再編集したものです。
「三丁目の夕日」の時代からの移行は歓迎だが…
皆さまご存じのように戦後の社会は、みんなだいたい同じ価値観を共有している社会*(「大きな物語の社会」)から、みんな違ってみんないいという社会(「ポストモダン社会」)へと移行していきます。
※みんなだいたい同じ価値観を共有している社会:古い用語で恐縮だが、「大きな物語の社会」とここでは表現する。詳細をお知りになりたい方はリオタールにあたるのがよいと思う→『ポスト・モダンの条件』。同書では、異なる言語ゲーム(ルールや世界観)の間で生じる対立が、共通の基準では解決できないことが、すでに指摘されている。同書を読み解くときは、「対立を煽っているわけではなく、違う世界観の人も尊重する」「なんでも等価値(極端な相対主義)と言っているのではないが、共通基準では裁けない対立がある」という主張であることに注意するとよいと思う
最初に態度表明しておくと、私はこの移行を歓迎しました。大きな物語の社会は、結束感があるとか安心感があると言えばポジティブに聞こえるのですが、同調圧力の強い社会で、その価値観に沿う生き方を強制されました。
私も「男の子は体育ができなきゃ価値がない」とかさんざん言われて凹みましたし、ちょっと価値観から外れたことをすると父親や教諭によくぶん殴られました。ノスタルジーとしての『ALWAYS 三丁目の夕日』的なコンテンツはありだとしても、本気であの時代に戻りたいと思ったことはありません。
「みんな違ってみんないい」の誤算
技術者はもともとフラットな組織や生活が好きな人が多いので、こうした移行を後押しするツールとしてのフラットなネットワーク(インターネット)やワールドワイドウェブ(www*)という表現装置、ブロックチェーンを作ってきたとも言えます。多くの人にとっても、基本的にはこの移行は歓迎だったと思うのです。
※ワールドワイドウェブ(www):ハイパーリンクによって情報(ウェブページ)同士を結びつけ、インターネット上に分散する情報に容易にアクセスできるようにしたしくみ。インターネットを普及させるきっかけにもなった
ただ、誤算がありました。「みんな違ってみんないい」への過度な期待です。
「みんな違ってみんないい」状態を多くの人はユートピア的に捉えました。「みんな違ってみんないい」ので、自分の居場所が確保されていそうに思えます。「居場所がない」は人間の根源的な恐怖ですから、様々な属性や能力によらず居場所が与えられるのであれば、歓迎ムードになります。

