※本稿は、岡嶋裕史『子どものSNS禁止より、大人のX規制が必要な理由』(光文社新書)の一部を再編集したものです。
平等に意見を言えるプラットフォームの“ウラの顔”
SNS利用規制は、その対象をSNSではなく、Xなどの拡散系サービスに置き換えるなら消極的賛成です。ただし主たる対象を子どもに絞る必要はなく、むしろ大人を保護しなければなりません。
Xは直接民主制に最も近づいたツールだったのかもしれません。クラスター係数*と平均経路長*がともに小さいサービス、すなわち個人が個人として世界と対峙できるツールです。
※クラスター係数:ネットワークにおいて自分の友だちの友だちも友だちである確率を示し、クラスター係数の値が大きいと友だち同士のコミュニティが密接だと言える。
※平均経路長:自分から特定の人にたどり着くのに必要な友だちの数。
ページビューとクリックはある意見を支持する意思表示です。選挙で一票を投じて政党を応援するよりも、株を買ってその企業を支えるよりも、ずっと即時的に直接的に自分の意見を表明できます。自分の意見が常に投票にさらされていると言ってもいいでしょう。
でも、みんなが平等に意見を言い合えるプラットフォームは、みんなが分け隔てなく罵詈雑言をぶつけ合える荒野でもありました。
七つの海ほど振れ幅のある意見を調整して建設的な落としどころを見つけるのは、政治的、金銭的動機のある職業政治家でも難しいですが、「みんな平等」の状態にある大衆がそれを行うのはほぼ不可能です。
では、これらの社会の動きに、人々はどう順応したでしょうか。答えはすでに明示されています。人をぶっ叩きました。
なぜ自殺に追い込むまで叩き続けるのか
のほほんと暮らしているだけで、役割や居場所が与えられることはなくなりました。だからといって、何事かを成そうと一念発起しても茨の道ですし、成したと思った瞬間に多様な切り口で叩かれます。
そんな状況下で非常に費用対効果の高い行為があります。Xで称賛してもらうことです。Xであれば、一言つぶやくだけで万バズ、億バズが得られるかもしれません。
たとえば、「徹夜を繰り返し、爪に火をともして作った同人誌を100部売る労力と世界へのインパクト」と比べると、脅威のコスパです。人生を切り拓いたり、ものづくりに身命を賭したりするより、ずっと簡単に始めることができます。
自分のやったことで社会に爪痕を残したい、居場所を確保したいという思いは、誰でも持っている強い欲求でした。今やその欲求は、SNSや拡散系サービスの評価で得られます。これらでバズるために必要なのは、よい成果物や著作物ではありませんでした。
「いいね」獲得のために投下される成果物は捏造でいいのです。よいもの、本物を作るのは時間が惜しいし、高度なモノ、理解に時間のかかるコトは大衆から「いいね」を引き出す役には立ちません。
これを繰り返すと、社会や自分をよくすることが行動の目的にはならず、刹那的な狂騒こそが最適化された行動になります。「意味を考えると波に乗り遅れる。人を自殺に追い込むまで思考停止する」といった行動が常態化します。


