トヨタ自動車とスズキはともに、織機会社からはじまり、自動車製造の道を切り拓いた。当時、日本国内では未成熟だった自動車産業に挑んだ2人の創業者の物語。

経営危機を救ったハイドラフト精紡機のヒット

喜一郎が自動車製造実現の後押しをしたのは1930年の新製品開発の成功だった。

プラット社との交渉を終えて帰国した1930年、日本は昭和恐慌のなかにあった。前年の世界恐慌の影響で生糸、綿製品、雑貨といった日本の輸出品が売れなくなった。国内の景気は低迷し、輸出産業の紡績業、綿製品工場は苦境に陥った。豊田紡織では労働争議が起き、人員整理をするしかなかった。