28歳の男性は物心ついた頃から「両親に迷惑をかけてはいけない」と考え、他人に気を遣いながら生きてきた。指定校推薦で進学した大学2年の時に突然、原因不明の不調に見舞われて、単位を落とした結果、留年が決定。その後、就職してからも苦難の道が続いた。ノンフィクションライターの旦木瑞穂さんが取材すると、そこには生い立ちが大きく関係していることがわかった――。(前編/全2回)
パーカーのフードをかぶり、歩道橋をわたっている男性の後ろ姿
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厚生労働省によると、2025年3月時点の生活保護の申請件数は、2万2484件(前年同月比867件増加、4%増)。生活保護を開始した世帯数は、2万395世帯(同1062世帯増加、5.5%増)。賃金は上がらず、物価が異常に高騰する中、さらに生活保護が必要な人々が増えるのは必至な状況だ。

介護や毒親の取材現場で筆者が以前から気になっていたのは、経済的な困窮者が生活保護を忌避するケースが多いことだった。その背景には、不正受給問題はさることながら、生活保護の仕組みの複雑さや“得体の知れなさ”が影響しているのではないか。そんな問題意識を胸に、かつての生活保護受給者の話を通じて制度の実態を明らかにし、正しく救われる人や機会を増やしていきたい。

「このまま今の仕事を続けてたら…」

関東在住の焼場雷太さん(仮名・28歳)の3度目の転職先は、テレワーク中心の会社だった。入社が決まった後、1日だけ出社し、そのあとはパソコンを持ち帰って家で仕事をした。

「僕は、けっこう頑張っちゃうタイプみたいで、頼まれた仕事を『今日はこのあたりでいいか』と区切ることができずに、『早く終わらせないといけない』と思って根を詰めすぎてしまうんです。気がつくと、寝ている数時間以外はずっと仕事をしているみたいな状態になっていました」

焼場さんは、「入社したばかりで、上司に相談することもできなかったし、他に相談できる相手もいなかった」と話す。そのいかにも実直そうな口ぶりから筆者が感じたのは、「自分が誰かに相談しなければならない状況であること」さえ、気づいていなかったかもしれないということだ。

焼場さんは、ひたすら黙々と仕事をし続けた。するとある日の夜のこと、焼場さんは自分が外を歩いていることに気づいた。

「自分には全く家を出た記憶がなくて、どこをどう歩いたのかわかりませんが、無意識に近所をうろうろ徘徊していたみたいなんです。おそらく21時までは仕事をしていました。仕事をしていたら、イライラしたりとか、不安な気持ちがあったりとか、いろんな考えが頭の中に渦巻いて何だかよくわからなくなってきて、気が付いたら家を出て外を歩いていました。その時、『これはこのまま今の仕事を続けてたら死んじゃうな』と思ったんです」

時計は間もなく午前0時。3時間ほどの記憶がすっぽり抜け落ちていた。不安になった焼場さんは、すぐに24時間対応の退職代行の会社に「今日付で辞めたい」と相談。

退職代行会社の担当者は、「では、朝イチで会社に辞職の旨を伝えますね」と言い、その通りに実行された。入社から、わずか19日で辞めたことになる。

その1カ月後、貯金が底をつき、翌月の家賃を払うアテがなかった焼場さんは、ネットで炊き出し情報を得ると、新宿区の公園に行った。

炊き出しをしているNPO職員に生活に困っている旨を話すと、生活保護を勧められた。

なぜ彼は転職を繰り返し、生活を破綻させてしまったのか。

その答えは、彼の生い立ちと疾患にあった――。