母親からの6年ぶりの電話
「お父さんが最近おかしいの。なんか『会社を一緒にやろう』って持ちかけられたみたいなんだけど、退職金がどんどん減ってて……。騙されてるんじゃないかと思うんだけど、全然聞いてくれなくて」
1999年のこと。当時58歳の母親から電話がかかってきた。大学を卒業と同時に実家を出て以来、両親やきょうだいとほとんど連絡をとっていなかった28歳の深謝さんはその唐突な内容に面食らった。
首都圏の社会福祉法人で相談業務の担当だった深謝さんは、「どこかで聞いたような話だなぁ」と思いながら、「そうなんだ。大変だったんだね」と答えたところ、「『大変だった』じゃないわよ〜!」と母親は電話口で号泣し始める。
「とにかく一度帰るから、詳しい話はその時に」と言って電話を切り、約6年ぶりに関西の実家に帰った。
全くよい思い出がない家族
関西出身の深謝さんは、石油系の会社に勤める父親と、事務の仕事に就いていた母親が29歳で見合い結婚後、2人が30歳の時に長女として誕生。4歳下に妹、さらに2歳下に弟が生まれた。
「父は、良くも悪くも『素朴な田舎の農家のおっちゃん』で、対外的には外交的で面倒見がよく人気者。モーレツサラリーマンでほとんど家にいなかったので、家庭内的にはほぼ会話がありませんでした。感情を言語化する回路がなく、他人の感情も理解できず、無神経な言動をしますが、一切悪気はないです。田舎の風習で、17歳から飲酒習慣があり、アルコールが入ると人格が豹変してしまうため、何度もお酒で失敗する姿を見てきました。父に関していい思い出はありません」
一方、母親は高校生の頃から鶏卵を売る仕事をして弟の学費を稼ぎ、家計を助けていたという苦労人。結婚後は専業主婦となったが、年末年始の義実家への帰省は欠かさず、台所仕事一切を切り盛りし、姑(深謝さんにとっての父方の祖母)に尽くしたが「長男の嫁だから当たり前」と冷遇され続け、姑を恨んでいる。
さらに、息子の出産後に産褥が悪かったため、夫に「今年だけは帰省を勘弁してください」と泣きながら土下座して頼んだが、聞き入れてもらえなかったことを根に持っている。
「『良い嫁・良い妻・良い母』が母のアイデンティティなのに全然報われず、子どもは絶対に殴らない代わりに、年に数回、大事にしていた皿を叩き割る人でした。『人を差別してはいけない』とか、『ちゃんとした教育を受けさせたい』という信念はあったようですが、小学校低学年の頃に『あなたたち(子ども)がいたから離婚できなかった』と言われ、『子どもを言い訳に使うな。お母さんみたいな人生は絶対に嫌だ』と反面教師像を刷り込まれました。もともと母はおっちょこちょいだけれど憎めないキャラクターでしたが、嫁姑関係や夫婦関係の不信感から、自分の考えを肯定してくれる人しか信用できなくなっていきました」
そして、深謝さんは妹との関係が「最悪だった」という。
「物心ついた時には両親の膝は妹の場所だったので、嫉妬心があったのだと思います。姉妹喧嘩でキレた私が、石を投げつけたこともあります。妹は真ん中っ子で放置されていたので、とにかく独立心が強く、長女の私を見て、『あんないい加減な人間になってはいけない』と思って生きてきたそうです」
その上、6歳違いの弟との関係も良くなかった。
「弟は、初男孫ということで甘やかされて育ちました。弟が生まれる時、姑や親族との関係が悪く、誰にも頼れなくなっていた母が、私の世話まで手が回らず、私にとって見知らぬ他人宅(母親の親友の家)に突然預けたため、『自分は親から捨てられた』と感じ、性格が歪むきっかけになりました」

