退職金6000万円と家族を失った父親
大学卒業後、首都圏の社会福祉法人に就職が決まった深謝さんは、実家を出た後、ほとんど帰らなかった。だが、冒頭のように28歳の時、突然母親から電話がかかってきたのだ。
電話をきっかけに6年ぶりに実家に帰ると、実家は大変な事態に見舞われていた。
「リストラに遭った父は、別会社の元社長である友人に誘われて、共同名義で会社を立ち上げたらしいです。友人は、『海外マーケットは時差があるからリターンに時間がかかる』などともっともらしいことを言って、父に数十万円〜100万円単位で何度も出資を募り、たまに数万円リターンがある……という状況だったようです。ギャンブルと同じですよね。全くバックがなければ考え直したかもしれないのに、たまに勝つから欲が出てまた次を賭けてしまう……」
母親は、父親の退職金がどんどんなくなっていくことに不安を膨らませていき、ついに抱えきれなくなって深謝さんに電話したのだった。
両親と子ども3人。6年ぶりに家族が一堂に会した。
父親から見せられた分厚い事業計画書には、「M&Aの時代」「廃棄物処理がトレンド」「土地購入なら今」ともっともらしい文字が躍る。だが対照的に、自治体の事業許可証は明らかにコピーだった。
「お父さん、こりゃニセモノや。悪いこと言わん、早く手を引いたほうがいい」
深謝さんによる指摘を、父親は黙って聞いていた。
「話を持ち掛けられたのは、ちょうどバブル期。『貯金なんかしてる奴はバカだ、消費して投資してナンボ』っていう時代で、日本中が狂乱状態でしたよね。それに踊らされて、後には引けなかったんじゃないかなぁと。気持ちはわからなくもないんですが、いかんせん家族に説明がなさすぎました」
当時、一緒に暮らしていた弟と母親が警察に被害届けを出すと、元社長から実家に電話が入り、
「あなた、大変な目に遭いますよ。警察に捕まりますよ」
と脅迫とも取れるような対応をされたという。それも警察へ報告していた。
それでも父親は諦めきれず、結局退職金6000万円全てを友人に騙し取られた上に、まだ母親のタンス預金まで持ち出そうとし、止めようとした弟と乱闘に発展。
そして2007年。何度目かの家族会議が招集された。
「2人が離婚しようがしまいが、俺はもう父ちゃんの名字は継がない。母ちゃんの旧姓に改名する」
と言う弟。それでも母親は「今までのことは水に流すから、もう一度やり直す気はない?」と提案した。
すると父親は言った。
「いや、それはダメだ。俺の名字を絶やすわけにはいかん」
「それを聞いた瞬間、父以外の全員が、『え? 母ちゃんの提案聞いてた? 母ちゃんの提案より弟が改名するかしないのかのほうが大事なの?』と呆気に取られていました。最初に母から相談の電話を受けてから9年、何とか解決しようと奔走してきましたが、全身から力が抜けました」
父親が自ら離婚を選択した自覚がないまま、離婚が決まった瞬間だった。
2028年12月、両親は、
・大阪のマンションを母が所有すること
・2人の年金を合算した半額を、父親が10年間、母親に送金する
という公正証書を作り、離婚。
父親は自分の故郷である岡山へ帰り、母親は大阪のマンションに残った。

