※本稿は、田中慎弥・落合陽一『堕落論 住めば都のディストピア』(徳間書店)の一部を再編集したものです。
AIが書いた文章があふれる時代に
【落合】AIやロボットの進化はすさまじく、人間を介在させず勝手に進歩するレベルまであと数年でいくでしょう。大きな変化が早晩やってきます。すでにインターネット上で新たに生み出される文章のかなりの割合が、AIで書かれたものになっています。人類が歴史上でつくってきた全文章を足し合わせたものより、ここ数年でAIが生成した文章のほうが多くなっています。
もうすぐAIによって人類の存在や歴史は塗り替えられます。それがどういう世界となるのか、わかりません。どうやらディストピア的な色合いが濃そうですが。田中さんは、そうなっても小説を書きますか?
【田中】書きます。小説は自分が読むものであり、自分が書くものですから。別にAIが書こうがほかのだれが書こうが、AIが書いた小説をAIが消費するようになろうが、みずから書くという私の営みは続くでしょう。
人間が自分自身のために小説を書く、という行為がこれから先、どんどん廃れていくのかもしれませんけれど、それでも私は小説を書くでしょう。非常にいじましく、ささやかなこととして、続けていくのだと思います。もともと人間の人生なんてちっぽけなものですから。
未来のことから現代へ視点を戻すと、私は新人賞の選考委員をやっており、たくさんの応募作を読む機会があります。そこで気づいたのは、このところ部屋の中の場面が多い点です。コロナ禍以降、リモートワークが広まった影響などもあるのかもしれませんが、ともかく社会とのリアルな接点が希薄になっている印象を受けます。
室内を意図的に巧妙に使うのであればいいのですが、何となく部屋で人と話していたり、喧嘩していたりする。「なぜ部屋の中なのか」という必然性を求めすぎるのもよくないですが、なんだか世界が半径数メートルで完結してしまっているような、閉じた感じがします。


