芥川賞作家の田中慎弥さんはスマホもPCも持たず、連絡は電話とFAXを使っている。そんな田中さんから、スマホを手放さない現代人はどう見えているのか。筑波大学教授でメディアアーティストの落合陽一さんとの対談をお届けする――。
※本稿は、田中慎弥・落合陽一『堕落論 住めば都のディストピア』(徳間書店)の一部を再編集したものです。
常時接続された社会での「孤独」とは?
【落合】堕落は個人がそれぞれ勝手にするものだというイメージを持っています。集団で堕落するのは難しいので。ということは前提として、正しく「孤独」であることは極めて重要です。
いかにして現代において孤独たり得るか。たとえばスマートフォンがあれば、いつどこでもだれからでも連絡が来て、他者と否応なくつながってしまいます。通知が来るたびに意識は中断され、他者の時間軸に引きずり込まれます。
また、ひとたびインターネットにつないで画面を覗いてしまえば、人が吐き出したのかAIが吐き出したのかわからないデータが無限に流れてきます。それは情報の濁流のようなもので、その渦の中に巻き込まれながら自分を保つのはなかなか難しい。
キャッシュレス決済が広がっている昨今は、生活インフラもスマホに組み込まれていますから、田中さんのようにスマホやPCを「持たない」という選択肢も取りづらい。現代を生きていながら、外界や他者とのつながりを断つのはたいへん難しいことです。
デジタルによって常時接続された社会。そんな状況でなお「孤独である」というのは、一体どういう状態を指すんでしょうか。
【田中】もちろん、どうやったって完全な孤独にはなりきれません。山奥に籠もったとしても、何かしらのインフラには頼るわけですから。「孤独とは何か」を定義しはじめると際限がないけれど、ともあれ完全に人と切り離された生活というのはできない。スマホのあるなし以前に、人が生きていくというのは周囲とつながりを保ちながら進むことと同義です。

