忙しい両親と5歳上に障害を持つ姉

都内で生まれ育った焼場さんは、公務員の父親と看護師の母親のもとに、長男として誕生。5歳上にダウン症の姉がいた。

「両親は友人を介して知り合い、結婚してすぐに姉が生まれたようです。僕は物心ついた時には、『うちの姉は普通の子と違うな』って思っていました。たぶん知能は4歳くらいで止まっていて、足し算ぐらいしかできません。トイレは自分でできますが、時々漏らしてしまうことがあります。今も例えば、『図書館で漏らしてしまった』という連絡を受けて、僕が迎えに行ったり、着替えさせたり、お風呂に入れてあげたりすることもあります」

焼場さんは、「いつもニコニコしている手のかからない子」に育った。

「基本はわがままを言いませんでした。喜びの感情は出しますが、悲しみとか怒りとかは出さなかったような気がします。溜め込んでしまって、時々爆発させるみたいな感じの子ども時代だったように思います」

一戸建ての家には父方の祖父母も同居しており、焼場さんが生まれた時、60歳の祖父はまだ働いていた。看護師の母親は焼場さんが1歳半になると、保育園に入れて復職。家事はその頃57歳だった祖母が担当した。

「子どもの頃、家の中では祖父母と両親が衝突することが日常茶飯事でした。だから自分は他人と揉めないよう、人の顔色を伺い、必要以上に気を遣うのが癖になっていました」

姉は小学校では普通学級に。中学校は養護学級に進んだ。

「1年を通じて、家族で旅行やキャンプなどに頻繁に出かけていました。ダウン症の姉は、当時は医師から『20歳までは生きられない』と言われていたので、思い出作りのためだったと聞いています」

見事な星空の下、焚火を囲んでキャンプしているグループ
写真=iStock.com/anatoliy_gleb
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子どもの頃から焼場さんは「寂しい」と感じたり、姉に嫉妬したりしていたが、誰にも言えなかった。

「おそらく5歳くらいの頃から、自分より姉が優しくされていたりすると嫉妬していた気がします。例えば、同居していた祖母の部屋に、僕と姉が週末毎に交代で泊まりに行くようになっていたのですが、姉が連続して泊まることがあって、姉が贔屓されていると感じました」

そんなときは内心、「お姉ちゃんなんていなくなればいいのに」と思ったという。

追い詰められた中学受験

先に習い始めていた姉を見て、5歳の頃に公文式の教室に通い始めた焼場さんは、小5の終わりの頃に教室の先生から「あなたは頭がいいから、中学受験に挑戦したほうがいいんじゃない?」と勧められる。

焼場さんはすっかりその気になり、両親も「やってみたら?」と言ってくれた。

「実家がある地域があまり治安のいいところではなかったので、両親は、中学で僕がよくない子に引っ張られてしまうことを心配していました。あと、すでに小学校では僕が『障がい者の弟』ということが知れ渡っているので、全く知らない学校に行ったほうが、僕の将来のためにいいんじゃないかと考えたみたいです」

早速、中学受験の勉強をスタートした焼場さんだったが、想像以上の苦しさに何度も挫けそうになる。

「中学受験って、知らないと解けない問題とか、解き方から正しくないと正解にならない問題とかも多くて、そのテクニックみたいなのを教えてもらわないといけないんですが、小学生の自分にはけっこう難しくて、覚えることもいっぱいで……。学校のテストでは100点取れるのに、模試になると全然芳しくなくて、結構追い詰められました」

特に中学受験は、地域の公立中学に進む子たちが普通に遊んでいる姿が否応なく視界に入ってくるため、モチベーションを維持するのが難しい。

「みんなは土日も遊んでいるのに、僕は受験勉強をしなくちゃいけない。しかも、僕が受けた私立の中高一貫校はそんなに難しいところではなくて、偏差値の高い中学を目指している子と自分を比較してつらくなったりしました。受験勉強をやっていると、ストレスが溜まってイライラしたりとか、精神的に不安定になって、受からない恐怖とか、落ちるんじゃないかみたいな不安とかに襲われたり、『こんな問題が解けない自分は劣っている』などと自分を責めちゃったりっていうことが多かったんですよね」

このときも焼場さんは、受験勉強で苦しい思いをしていることを、友だちはもちろん、両親にさえ打ち明けられなかったという。

「両親も気づいていなかったんじゃないかな。僕が見せないようにしていたので。ただでさえ姉に手がかかりますし、両親は共働きでしたし。僕は自分から『やりたい』って言ったわけですから……。『やっぱり大変だからやめるなんて言ったら、親に迷惑かける』みたいなことを考えて、ずっと耐えていたような気がします」

つらさに耐え抜いた焼場さんは、自分が希望した私立の中高一貫校に見事合格することができた。