※本稿は、郡山史郎『君の仕事は誰のため?90歳現役ビジネスマンが伝えたい「自分を活かす」働き方』(青春出版社)の一部を再編集したものです。
「戦友」を見送ることは、いくつになってもつらい
長く生きると、かつての仲間を見送る機会が増える。まして「戦友」ともいえるような相手だと、あふれる涙をこらえることができない。たとえ葬式には出なくても、心のなかで冥福を祈っていれば、その想いはきっと故人にも届くはずだ。
私は以前の著書で「高齢者は葬儀に参列しなくていい」と書いた。しかしつい3年ほど前、その禁を破ったことがある。ソニーの会長兼CEOを務めた出井伸之さんが2022年6月に亡くなり、10月に催されたお別れの会に参列したのだ。
出井さんは私にとって恩人だった。だから信を曲げてでも、きちんとお別れしないわけにはいかないと思ったのだ。
都心のホテルの会場に入ると、私の予想と違って華やかさすら漂う雰囲気に驚いた。出井さんの大きなポートレートが飾られ、大型のビジョンでは動画が流れている。まだ午前中だというのに、献花台には花の山ができていた。
若いビジネスパーソンが多いのも印象的だった。彼はすでにソニーを退き、自分の会社で次世代ビジネスや若手リーダー育成に勤しんでいた。多くの若手から慕われる素晴らしい経営者だったのだろう。
そんな思いを抱きつつ、祭壇に花を手向け、遺影に向かって手を合わせたのだが、次第にさまざまな思いが湧いてきて涙が止まらなくなってしまった。周囲に誰もいなかったら嗚咽さえ漏らしていたかもしれない。あとで聞くと、その日の参列者はおよそ2000人もいたとか。大勢の面前で嗚咽をこらえることができてよかった。
読経を聞きながら叫びたくなる
私が「高齢者は葬儀に参列しなくていい」と書いたのは、かつての付き合いは忘れろという意味ではない。
逆だ。故人との付き合いが長いほど、さまざまな思いがあふれてきて感情をコントロールできないからだ。これも高齢になったゆえかと思っていたが、それだけが理由ではないだろう。故人がやり残したこと、遺族のことなど、さまざまなことに思いが及んでしまうのだ。
ましてや「戦友」とも呼べるような深い付き合いのある仲間だったらなおさらだ。実際、読経を聞きながら叫びたくなったり、焼香だけして、ご遺族に挨拶もしないで逃げるように会場を飛び出したこともある。
本当のところ、別れの辛さにだけはいくつになっても慣れることができない。しかし残念なことに、年齢を重ねるということは、それだけ見送る機会が増えるということでもある。
やはり私には、離れた場所で故人を偲びながら、思う存分涙を流すほうが合っているようだ。


