ソニーのコンピュータ1号機で失敗

出井さんと出会ったのは60年ほど前、スイス駐在時代だった。68歳で起業した私が、現在までやってこられたのは、出井さんのおかげといっても過言ではない。応援してくれる人が一人でもいれば、それはやり抜く力になる。

出井さんとの思い出話に、もうしばらくお付き合い願いたい。

彼と出会ったのは私がスイスに赴任していたときだから、もう60年も前になる。きっかけは忘れたが、彼はソニー入社後ジュネーブに留学していたので、そこで出会う機会があったのだろう。

仕事の付き合いはなかったが、この出会い以降、彼はプライベートな場では私のことを「先輩」と呼ぶようになった。あとで聞いた話では「自分は郡山さんの後輩だ」と言っていたらしい。

いまではコンピュータでも知られるソニーだが、実は1号機をつくったのは私だった。しかし失敗に終わり、2号機は出井さんが担当することになった。彼は「郡山さんのと違って今度は売れますよ」と自信満々だったが、これまた失敗。「お互い失敗だったね」と笑い合ったこともある。

古いパソコンのあるオフィス内のデスク
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大賀さんが出井さんを後継に指名

そして私は大賀典雄社長が出井さんを後継に指名したことをきっかけに、ソニーの取締役を辞めた。当時、出井さんは常務取締役だったから、居並ぶ先輩重役たちを飛び越えての大抜擢は世間でも大いに話題になったものだ。

出井さんは私より2歳若く、取締役になったのは私より4年遅かった。私のような年長者がいたら新社長はやりにくいことは誰でもわかる。ほかの古参たちと「世代交代のいい機会だから辞めよう」と相談したうえで決めたことだが、蓋を開けたら大方の古参たちはソニーに残った。

折しも翌年が創業50周年を迎える節目だったこともあり、新社長が新しい風を送り込むのにふさわしいタイミングだと思われた。常に未来志向だった井深さんや盛田さんも、次の時代に向けて新しい世代に引き継ぐことに賛同してくれるだろうという思いもあった。

ひと言つけ加えるなら、私がソニーを離れるとき、「ご苦労さまでした」と感謝状を渡してくれたのは、ほかでもない出井さんだった。