「専門バカ」状態からどう脱するか
専門家とは、その名の通り、ある領域に専ら、どっぷり入れあげた人のことである。
入れあげているがゆえに、その専門領域外の世界については無知なことが多い。「専門バカ」と呼ばれる所以であるが、専門性を追求すればこういう結論に至るのは当然である。
専門家でありながら、専門家が陥りがちな「専門バカ」状態にならないためにはどうしたらよいか。ある疫学者は科学哲学を学ぶことでこれを払拭しようとした。
疫学とは、「疫」、すなわち流行病の学問のことである。英語では「epidemiology(エピデミオロジー)」、すなわち「epidemic(エピデミック)」(流行病)に学問を意味する「-ology」という接尾辞を加えている。集団における病気の頻度や原因、対策などを学ぶ学問だ。
くだんの疫学者はヒュームやフッサールなど、哲学あるいは科学哲学を学び、これを援用することで専門家が陥りがちな「専門バカ」状態から脱し、より普遍性の高い知見や洞察を得ようとした。
しかし、私が見るところ、彼は「疫学こそが最高かつ最強の学問である」という自領域の優位性を確信しており、その信念から離れられなかった。その前提から動かない限り、彼は「哲学を自分の理論武装に利用している」専門家であり、「専門バカ」から回避できる保証を得ていないように思う。
ルサンチマンという悪因による失敗
疫学や公衆衛生学(あるいはその近縁にある感染症学)は諸外国に比べ、日本ではあまり進歩していない。また、十分な認知も得ておらず、学問上のプレゼンスも高くない。彼は、「日本では虐げられているが、実は疫学こそが学問中の学問である」という固い信念を持っていた。この信念に固執した。であるがゆえに、いかに哲学書を読み、科学哲学を応用しようとしても、「疫学こそが医学にあって最高」という信念を強化するような方向でしか活用できなかった。ここに彼の失敗があると、私は考えている。
ことほど左様に、「専門家」は自分の専門領域こそが学問上の最上位にあるとアッピールする欲望を抱きがちだ。
自分が好きでのめり込んだフィールドである。贔屓の引き倒しになりがちなのは、感情的には理解できる。特に、周囲からの認知が十分でない、いわゆる「日陰」の存在の学問領域、専門領域の人たちは、このようなアッピールに走りやすい。
つまりはルサンチマン、すなわち「恨み」であり「怨恨」の問題だ。日本では感染症学も日陰の存在であるから、私自身も感情的には同感する。