吉原では頻繁に火事が発生した。歴史評論家の香原斗志さんは「特に、現在NHK大河『べらぼう』で描いている時代から江戸末期までの約100年間で頻発した。そこには遊郭ならではの事情があった」という――。

吉原にとって脅威だった「非正規風俗」

吉原をもり立てる手立てはないか。NHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」では、蔦重こと蔦屋重三郎(横浜流星)は毎回、そのための策を練っている。それは裏を返せば、蔦重の時代の吉原は、それ以前にくらべて元気が失われていたことを意味する。

第12回「俄なる『明月余情』」(3月23日放送)では、「にわか」と呼ばれた祭りの様子が鮮やかに再現された。

俄は明和4年(1767)以来、毎年8月1日から1カ月にわたって開催され、仮装した芸者や幇間らが車のついた舞台に乗って即興芝居を演じながら、大通りの仲の町を練り歩いた。第12回では、対立している大文字屋と若木屋が連日、雀踊りで対決した挙句、最後にはともに踊るようになる様子が描かれた。

このようにもり立てる必要があったのは、当時の吉原が転機を迎えていたからである。

吉原は江戸で唯一、公認の遊里だったが、現実には、江戸市中にはほかの場所にも多くの遊女がいた。吉原以外の遊里は「岡場所」と呼ばれ、江戸の各所にあった。とくに「江戸四宿」、すなわち品川、内藤新宿、板橋、千住の宿場には「飯盛女」という遊女がいた。

『深川の雪』喜多川歌麿・画
岡場所の中でもとくに人気があり、かつ高級とされたのが深川を描いた浮世絵。『深川の雪』喜多川歌麿・画(写真=PD-Japan/Wikimedia Commons

こうした岡場所はいずれも非公認だったが、いたるところにあるので取り締まりが困難で、さらには値段が安く、吉原のような面倒な手続きもなかったので庶民の需要があり、事実上、黙認されていた。こうした安い遊女屋は、吉原にとっては脅威だった。